扉を開けた瞬間、悪い予感などでは無く理不尽がアガットに訪れた。
「おう、起きてるとは感心感心。青少年、仕上げに行くぞ」
「はぁ!? 何言って……」
 現れたのは良く知ってはいないが一応、アガットの訓練指導を時々務めている男、カシウス・ブライトであった。遊撃士協会からも王家からも一目置かれている存在であること、それに見合う実力を備えていることはアガットも知っている。そして、遊撃士への道を拓いた男でもある。
「訓練にはなるべく付き合うつもりなんだがな」
 と、支部の受付と話している姿は何度か見た。カシウスは多忙で、彼だから頼まれる依頼が大陸各地から来るのだという。その辺りはアガットも深入りしないので噂程度にしか知らなかった。遊撃士に誘った責任からそう言ったのだろうが、アガットにしてみれば大きなお世話に加え、実際痛い目に遭ってばかりの現実。
 それが、また増えようとしていた。……暗転。毎度の唐突さに反論しようとしたら、腹に衝撃。意識が、飛んだ。
 
 ――――気づけばそこは。
「こっ、ここは何処だああああ!?」
 座席である。ご丁寧にシートベルトも着用させられていた。問題はすぐ横の窓から見える風景。カシウスは焦るアガットの隣で何やらメニュー表に目を通している。「アルコールは止めておくか」などとどうでもいい事を呟いている。そしてアガットが座席でじたばたしだした事に気づき、窓の外を指さした。
「見れば分かるだろう、空の上だ」
「なんで!! 俺が!! 空の上に連れてかれてんだっ!!?」
「先に言うと文句言うだろうお前。面倒だから先に連れて行こうと思ってな」  けろっと悪そびれもなくカシウスは言い切った。窓の外には青い空とうっすら雲が流れていた。どう見てもここは地上ではないのは明白だった。つまり、飛行船の中に他ならない。
 遊撃士というものは、もっと秩序や形式を多少重んじるものなのではないのか。それともアガットが遊撃士というものに幻想を抱いていたのか。混乱する頭の中で、アガットは答えを導き出す。そうではない。この男が型破りなだけだと。
「リベールの外に行くのは初めてか?」
「……はぁ!!? リベールの外だと!!?」
 いきなり話のスケールが大きくなり、思わず立ち上がりそうになったがシートベルトがそれを阻止した。機能を律儀に果たすベルトにすら忌々しさを覚えてしまう。
「喜べ、経費で国外旅行なんてお得じゃないか」
「さっさと状況を説明しろ、おっさん!!」
「遊撃士になる為の仕上げだ、仕上げ」
 乗務員が持ってきたコーヒーで喉を潤いつつ、カシウスが答えた。そういえば、意識が飛ぶ直前にそんなことを言っていたような気がするのだが、思い返すと忌々しさが蘇る。
「レマン自治州……遊撃士協会の本部があるんだが、そこに訓練にはうってつけの場所がある」 「レマン、自治州……?」
 もちろんアガットも遊撃士本部があるぐらいは知っている。しかし、行くのは初めてだった。というより、リベール国内でも出歩く範囲は限られていた。遊撃士になる為の訓練で連れ回される以外では……。
「楽しみにしてろ?」
 そう言って、楽しいことが待っていた試しなど無いのだ。


 アガットが連れていかれたのは、一言でいうと「要塞」だった。遊撃士協会が何故こんな場所を有しているのか、持てる力があるのかアガットは知らないし、知ったとしても頭がこんがらがるであろう。
 一瞬の出来事だった。入り口の前で呆けている隙に背中を押され、……というより吹き飛ばされ、文句を言う前に「がんばれ若人〜」と手を振るカシウスと重い音を立て閉ざされた扉が見えた。
 完全に振り回されている。チッと舌打ちしつつ、まず置かれた現状を確認する。それは、カシウスから最初に叩き込まれたことだった。しかし確認するまでもなく、まず把握したのは蒸せるような暑さだった。要塞の中の気温を意図的に上げられているのだろう。
「これも訓練のうちってか……」
 額から流れる汗を乱暴に拭い、バンダナをしめ直した。要するに、ここの最終ポイントまでたどり着けば良いのだろう。あちこちから感じる気配は明らかに魔獣や警備マシンの類のもの。「遊撃士協会どうなってやがる」などと考えるのは、後でも出来る。
「やってやろうじゃねぇか」
 遊撃士に、なる。港でくすぶっているだけよりは、きっと遙かにましだろう。そして強さも得られるかもしれない。少しでも背後を意識すれば、暗い影が追いかけてくるようだった。その影は決して心地悪いものではなく、温かい。だから振り払えない……ずっと、傍らに存在し続けるものだった。
「行くぜ……!!」
 ――――駆けだした瞬間、暗転。



「あの……カシウスさん。本当にいいんですか? トラップを最高難易度にしろと言われてそのとおりにはしましたが、正遊撃士でも手こずりますよ」
「いい落ちっぷりだったな」
 モニターの中で、突如現れた落とし穴へと消えていった赤毛の青年。やれ、と言った当人の妙に感心した口調に、管理員の方が気の毒になってしまう。
「這いあがるぐらいがちょうどいいだろう、お前には。……なぁ青少年?」
 真っ暗な底で、盛大に悪態をつかれているなど何処吹く風、そんな顔で高位遊撃士の男は笑った。





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