躊躇い、そしてそれを振り切って頼まれた内容を、カシウスは心の中で反芻した。村長の様子からすると、前々から言おうとしていたがやっと言えたということだろう。
 こちらから聞いた方が良かったと思いつつ、自分もまだまだ未熟だとカシウスは苦笑した。  向かう先はルーアン。ラヴェンヌ村の村長からの頼みは深刻では無いが切実な響きがこもっていた。村から飛び出していったアガットという男の様子を見てきてほしい。出来るなら帰るよう伝えてほしいと。風の噂で不良グループの一員になったと聞いたらしい。
 ルーアンには仕事で何度も訪れたことがある。そして不良グループの存在も当然耳に入っていた。どこの町にもある話だが、ラヴェンヌ村のこれまでの経緯、そして犠牲をカシウスも知っている。青年が飛び出して行った事情も、そこが絡んでいるようだった。
 アガットという青年は一目で分かる鮮やかな赤毛らしい。村長が心配する気持ちも分かるが、若い頃というものは少々羽目を外したくなる傾向がある。過去の自分を浮かべながらそれを可能性として残しつつ、カシウスは真っすぐルーアンに向かった。


 ルーアンにたどり着いてすぐ、ギルドに顔を出しジャンと他愛ない近況報告を交わす。ジャンは研修が終わるとすぐにルーアンに配属されたのだが、若い年ながら個性的な遊撃士たち相手に物怖じせずすぐ馴染んだようだった。元よりの気質でもあるようだ。
「あれ? こっちは特にカシウスさんが来るほどの仕事はないですよ?」
「ああ、個人的にラヴェンヌ村の村長殿に頼まれてるんだ。不良青年の様子を見てきてくれってな」
「ラヴェンヌ村……ああ、アガットのことか」
 すぐに心得たようにジャンが名前を挙げた。ジャンの話だと、レイヴンのリーダー格のような存在らしい。
「リーダー格といっても腕っぷしがいいから周囲がそう扱ってるだけで、本人はやる気なく状態を放置してるって感じかな」
 ジャンが補足した。
「若いのに倉庫でたむろってるとは、今時のガキは不健康だな。可愛い彼女とデートぐらい覚えろってんだ」
「ははっ、カシウスさんとノリが違うんですよ、特にアガットはね」
 今なら倉庫に行けば会えるだろうというジャンの言葉に従い、カシウスは早速港の奥、倉庫に向かった。
「不良青年を不良中年が更正させる……か」
 そんなことを呟きながら。
 家では立派に「不良」という王冠を戴いているカシウスである。娘だけが与えてくれる、他の人が聞いたら目を丸々させる呼称。それをカシウスは笑いながら受け止めていた。
 カシウスにとって世界でたった一つの価値なのだ、それは。


 錆び付いた音と共に、シャッターを開ける。密閉された空間に、10代であろう若者がざっと見て7、8人いた。薄暗い倉庫の中に、もう片側の僅かに開いたシャッターから漏れる光の筋が走っている。照明は持ち込んで来たらしいランプが2つ、テーブルの上に並んでいるだけだった。そしてすぐに分かる。一番奥に、何処からか持ってきた椅子に腰をかける青年。 (なるほど、見事な赤毛……間違いないな)
 アガット・クロスナーだ。
 カシウスがまず、目に入ったのは赤毛。次に昏い眼だった。何処も見ていないような目と称するべきだろうか。
 最初は偉そうなことを言うつもりなど無かった。遊びたい年頃の若者の様子を見て場合によっては諫めるつもりではいたのだが、気持ちが変わった。
「気に入らんなぁ」
「なんだ、このオッサン……突然入って来やがって!」
 入り口近くに立っていた3人がカシウスに向かって威嚇するように傍にある木製の棒を振りあげる。それはカシウスにとってあまりに稚拙な動作だった。最低限、2歩斜め前に向かって突進する。まさか前に出てくると思わなかった青年が怯んだ隙に、カシウスは回り込み手刀で棒を払い落とした。床に棒がぶつかる音が響く前にそれを受け止める。すぐ、馴染む棒の感触。カシウスは手慣れた所作で構え、青年の顎にピタリと棒を突きつけた。
 あっという間の出来事に、全員がカシウスに釘付けになる。アガットも同じで、自然と椅子から立ち上がっていた。
「何しに来やがった、遊撃士。市長にでも頼まれてきたか?」
「村長にな。アガット・クロスナー君?」
「!」
 思い当たる節は十分にある。アガットは舌打ちした。
「余計なことを。何だ、連れ帰って村長の前で土下座でもさせる気か?」
「まぁ、場合によってはそれもアリだったんだがな……」
 カシウスは敵意に満ちた視線の集中砲火を浴びながら、飄々と笑った。意味ありげな目でアガットを見やる。
「どうだ、一方的なのもアレだ。アガット君、ここは一つ勝負してみないか?」
「気色悪い呼び方すんな、オッサン!! いいじゃねえか……その自信たっぷりの鼻をへし折ってやる」
「ああ、まだ名乗ってなかったな。俺はカシウス・ブライトというナイスミドルだ。よろしくな?」
 アガットが前に進み出ると、近くに立つ1人が壁にかけてあった得物……大剣を差し出す。アガットは期待と好奇心に満ちた相手の視線に苛立ちを覚え、荒っぽくそれを受け取った。
「じゃ、始めるか」
 まるでおやつの時間のような気さくさでカシウスは告げた。
 と、同時にアガットが雄々しく声を上げ大剣を構える。そして直進、カシウスに向かって剣を振りあげる。カシウスがひらりとかわした反動で体のバランスを崩しそうになっても、脚力でそれを堪えまた向かっていく。
 太刀筋は単調すぎるが、悪くない。カシウスは内心ほくそ笑んだ。
 アガットの大剣が、カシウスに届くことは無かった。寸でのところでかわし、反撃しない。まるで踊らされているようだ……アガットの苛立ちがますます加速する。
「クソオヤジ!! 逃げんな!! 戦え!!!」
「ほう、戦っていいのか」
 ニヤリと笑う。不敵なそれを見て、アガットは確信した。認めたくないが、本能で悟るしかなかった。  格が、違いすぎる。
 一瞬で終わった。周囲の者が声を上げる間もなく、アガットが驚く間もなく、あっけない幕切れ。瞬時に懐まで距離をつめたカシウスに、下腹部に棒では無く拳を打ち込まれ、アガットは気を失っていた。



 次に目が覚めた所は、知らない部屋だった。窓から見える空は夕暮れ。突然現れた遊撃士に気絶させられて2、3時間は経ったようだ。
「……クソッ」
 ソファーから体を起こし、アガットは憤りをそのまま壁に拳と共に打ちつける。まだ腹部に痛みがじわりと残っていた。ゆっくり立ち上がり、改めて窓から景色を覗くと見知った風景だった。つまり、ルーアン市内の建物の中だということだ。
 見える町並みからして……とアガットが考えようとすると、下から話し声が聞こえてきた。1人は聞き慣れないが、もう1人の声には聞き覚えがあった。
「あのオッサン……ッ!」
 喧嘩の腕っぷしでは太刀打ちできない。それでも、突然分からない場所に運ばれたことも含め文句をつけずにはいられない。
 しかし、会話の内容が耳に入りアガットは階段を下りる足を止めた。
「い、いいんですか〜? そんな突然というか唐突な。しかも本人、まだ眠ってるし、いや気絶かアレは」
「今のままだと起きてても気絶してても眠ってるようなもんだ。村長には俺から伝えておくさ」
「いや、それでも……。カシウスさん、あなたは遊撃士としても、人としても誰も文句がつけようがない実績があります。しかし今回のやり方はいつもらしく無いというか」
「まぁな」
 自覚はあるのでカシウスはけろっと同意した。だからこそ、質が悪いのかもしれない。
「じゃあ、どうして」
 ジャンは頭を抱えた。どうやら目の前の遊撃士……多くの者から尊敬と恐れの念を集めるこの男は、この状況を楽しんでいる。そして、それだけでもないようだ。
「うーむ。気に食わんから? 強いて言うなら成り行き?」
「真顔で言われると困るんですがカシウスさーん!」
 わざと堅くした表情を解し、カシウスは顔をやや斜め上に向け様子を窺っていたアガットとピタリと眼を合わせた。
「と、いう訳で新米、頑張れよ」
「なんの話だテメエ」
 声を低くしても、この男に何の効果も無いことは短い邂逅ながら分かっている。しかしこのまま流されるのは癪だ。アガットのささやかな抵抗だった。
 階段を下り、アガットは改めてカシウスと向き合う。今にも殴りかかりそうな雰囲気に思わずジャンが一歩引く。対してカシウスは「よく眠れたか?」と相変わらずだ。
「遊撃士協会に申請しておいたぞ。俺の推薦でな」
「なっ、なっ……!!?」
 訳が分からない。アガットの中で、先ほどまでの状況、今、そして遊撃士という言葉が結びつかない。
 そこで、やっと気づいた。ここはギルドだ。あちこちに依頼内容の書いたメモが貼り付けられている。これまでアガットは殆どギルドに足を運んだことはない。
「で、俺が教官」
 これ以上ないぐらい愉快そうに、カシウスがまだ混乱中のアガットの肩にぽんと手を置きながら告げた。アガットは開いた口はそのまま、まるで硬直したように動けない。その後ろで、ジャンが苦笑と共に「どうにでもなれ」といった顔をしていた。
「な、何がしたいんだ、テメエは!!!」
「今やってる通りだ。で、お前は何がしたいんだ?」
 言葉はすんなり返された。しかも、疑問系でだ。アガットは言葉を詰まらせる。口でもこの男には敵わないだろう。元よりアガットは口下手な自覚があった。
「お、俺は…………俺は…………!!!」
「ふむ、回答は無し。じゃ、いいじゃないか遊撃士になったって」
「オーイ、飛躍しすぎですよカシウスさん」
 様子を見守っていたジャンですら肩を落とす。それもその筈、遊撃士になるにはそれ相応の資格が必要であり、任される責任も半端な覚悟では背負えるものではない。
「あんな薄暗い倉庫の中で燻ってるよりはマシだろう。まず空の下で日光浴から開始だな」 「何で勝手に話を進めてやがる!!! しかも、俺が遊撃士だって!!? なれる筈ないだろうが!!!」
「最初はみんな、そう言うもんだ。俺の弟子も言ってた。今は遊撃士はあたしの天職ーなんて、飲みながら言ってるぞ?」
 同時にカシウスは、遊撃士になれると信じて疑わない存在を思い出す。練習用の棒術具で体中痣を作りつつはりきって振り回す、少女のことを。
「俺が……なれる筈ない……!!!」
 遊撃士がどんな存在であるか、もちろんアガットも知っている。リベール国内での遊撃士とは、憧れの存在でもあるのだ。市民を守り、魔獣を倒す正義の味方。簡単に言えばこうだ。
 だから、なれないのだ。
 頭の中を遠い日の笑顔が浮かぶ。屈託ない信頼に満ちた声が響く。
 守ってくれて、ありがとう。そんな、叶えられなかった全てが通り過ぎていく。
「……大丈夫か?」
 いつの間にか床に膝をついていた。肩をカシウスに支えられていることに気づき、アガットはギリ、と歯ぎしりをした。
「クソ……ッ」
「まぁ、少々強引なのは認めるさ。しかしお前、同じ風景ばかり見て箱の中でそのまま腐るつもりか。太刀筋はいい。お前は、修練を積めばいい剣士になるだろう」
「…………」
「いい遊撃士になるかは、俺にも全く分からないがな。それはお前次第だ。お前がなれないと言うだけで閉ざされる扉だ。しかし、その扉は案外簡単に開くんだぞ?」
「何で、俺に構うんだ……」
 アガットは床に視線を落としたまま、怒りと迷いを込め吐き出す。そうだ、それが一番分からないのだ。ラヴェンヌ村に引っ張られるだけかと思ったら、何故こんな事態になっているのか。
「ちょっとムカついたからさ」
「はぁあああ!!?」 「ちょ、カシウスさん〜〜!!?」  ジャンとアガットが同時に声を上げると、カシウスは「ははっ」と笑った。 「いやな、そんなにカッコ悪いとこ見せていたことや……しくじったな〜って色々自分を省みただけだ。気にするな」
 アガットは首を傾げた。ジャンは事情をある程度知っているということだろう。僅かに目を伏せ口を閉ざした。
 それともう1つ。カシウスの眼の奥にある光が、先ほどまであんなに強靱だったものが、微かに揺れた。それだけは、はっきり見て取れた。
 きっと、その揺らぎをアガットも知っている。
「お前も不良青年からナイスミドルを目指してみないかってことさ。強くなっていて悪いことはないだろう、お前ならな」
「遊撃士はともかく……強く、なれるのか」
 アガットの言葉にジャンは「え」と驚く。
「腕っぷしだけ強くなられても困るが、お前次第だな」
「…………」
 アガットはゆっくり立ち上がる。そして、改めて室内を見渡した。ここに、毎日誰かが助けを求めにくるのだ。床には土があちこちに落ちていた。遊撃士たちの靴についていたものだろう。彼らはどんな場所へも、山でも、海でも……フットワークを売りにしている。遊撃士たちが集い、仕事を請け負う場所……・。そこに今、自分がいることだけでも異質なようなことに思える。遊撃士になった自分をアガットには想像が出来ない。
「扉を自分で閉ざすな。青少年?」
 はっと振り返る。カシウスの眼は全てを見透かすようで苦手だ。しかし、発する言葉1つ1つに力が籠もっているのは否定できない。それは自信から来るものかもしれないとアガットは思った。アガットが持ち得ていないものであり、持てる筈がないものだ。
(俺は、守れなかったから)
 全てがそこに集約される。
「……あんたは、何で……遊撃士になった?」
 ふと気になった時には、既に口に出していた。アガットは驚き、ジャンも意外そうだ。ただ、カシウスはすんなり事もなげに答えた。
「守れなかったからさ」
「そこは、守りたいからじゃないのか……?」
「はは、結果的にはそうなるんだろうな。お前が思ってるより影のあるちょいクールオヤジなんだ」
「変なオッサン……ついに自分でオヤジって言ったな」
「家じゃ不良オヤジと言われ続けてるからウッカリ出ちまうんだ、不良青年」
 口元がふと、緩む。
「不良オヤジと不良青年……なかなか面白いことになりそうじゃないですか」
 ジャンが調子を取り戻し明るい声で言うと、カシウスは少し不本意そうに首を捻らす。
「お前な、俺はまだまだ現役なんだぞ?」
「……これからどうすればいいか、聞かせろ。それから決める」
 アガットの発言に、2人の視線が集まる。居心地が悪いし、心臓が妙にバクバク煩く鳴った。しかし妙な意地が働き、アガットは背筋を伸ばしてみた。本当に、ささやかな抵抗だ。
 アガットは分かっている。まだ、扉は開いていない。ただ、蹲っていた場所から立ち上がっただけだと。

「まずは月光浴になったな」
「……ふん」
 カシウスと共に、夜のルーアンに踏み出す。腹ごしらえしつつ話すか、という提案にアガットは頷いた。
 倉庫の隙間から漏れる光は、寧ろ向こう側とこちらを遮断するようなラインのように見えた。いつも、そこから外側に出たらいけないと誰かに言いつけられたような閉塞感と共に呼吸していた。
 お前たちには何もできないのだから、と。

 月の光は、幻想的に街一面を照らしていた。初めて見る街のような、不思議な錯覚。いつも遠くから見ていた景色。
「今日は星がよく見えるな」
 カシウスが夜空を仰ぎ見る。アガットも釣られるように、顔を上げた。ずっと見つめていると吸い込まれそうだ。
 広く、どこまでも続く空を見ていると、自分が小さく思える。実際、今まで倉庫の中という世界に閉じこもっていたのだから尚更だろう。アガットが自嘲と共に口元を歪めると、前を歩くカシウスが独り言のように呟いた。
「空からも、手を伸ばしていないと誰が言い切れる?」
 アガットは前を歩く男の背中をじっと見る。
 この男を追いかけるつもりはない。同じになるつもりもない。それでも今、共に夜空の下を歩いている訳は……。
 ただ、守れなかったから。それだけだ。





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