白を基調とした部屋。清潔感を第一に考えたシンプルなデザイン。鼻につく、臭い。明日への不安、将来への悲観。それと、希望。
 横になっていても、眼を瞑っても、それらは小さな体、肌を貫き心に入り込む。仕方ないのだと諦めていた。特に、ここはそういう場所なのだから。
 自分の安静の為に、病院側も随分手を尽くしていることは知っていた。なので、これは我が侭。ここにいたくないなんて言える筈も無く。
 何処に行けばいいのかも、解かるはずも無いのだ。
 ティオがクロスベルの病院に運ばれてから1週間ほど経過していた。



「検査の結果、数値はかなり良くなってきているわ。でも、まだ焦らずにゆっくり体調を戻して行きましょうね」
 20代半ばであろうナースがニコリと微笑む。表情筋が僅かに引き攣り緊張している。感情を敏感に察知、受信する体質のことは、当然病院側も把握していた。
(こわいんだ)
 私のこと、が。ティオは囁くように呟く。
「オ――――ッス、ティオ――――!」
 突然、ドアが開いた。騒々しい気配、遠慮の無い声。  彼が発する情報はティオを貫く。とても、潔く。清々しいほどの勢いで。
「ガイさん! ここは病院です、何度言ったら解かるんですか、もっと声を抑えて!」
「そういう看護師さんの声もデカいって! ほら、笑顔笑顔〜」
 口元に指を添えて、ガイがニカッと笑う。まるで子どものように。
「なぁ、ティオもそう思うよな?」
「――――ガイさん、ここは病院です」
 いきなり名前を呼ばれ、反応が遅れてしまった。それよりも、だ。
 何故、声が震えてしまったのか。手まで、震えているのか。ティオには解からない。
「……看護師さん、もう処置は終わったんスよね?」
「え、ええ。それじゃあ失礼します。ガイさん、くれぐれもティオさんを疲れさせないように」
 釘を差してから、ナースはそそくさと退室した。ガイは右手をひらひら振って見送った後、 「はぁ〜〜」とおもいきりため息をついた。そして、改めてベッド上で身体を起こした状態の  ティオに向き直る。
「よーく頑張った、えらい、えらい!」
「なっ!?」
 ガイの大きな手がぐいと伸びてきたと思えば、無遠慮にティオの頭のてっぺんをガシガシ撫でる。髪が盛大に乱れたのを見て、「やべっ」とガイは今度は丁寧にティオの透きとおった水を 思わせる髪を整えた。
「やばいと思うなら、最初からやらないでください」
「すまんすまん、つい弟と同じようにやってしまってな。ティオは女の子だもんなっ?」
 晴天のような笑顔。そんなものを見せられたら、文句も飲みこんでしまう。まず、「女の子」という扱いが不思議さを感じる。ずっと女の子であることも、人間であることも、 ティオには遠い事項であった。ただ、薬を投与され息をしていた。痛みに悲鳴をあげることすら諦めて。
 ――――と、急に視界が暗くなって、ティオは自分に何が起こったのか解からなかった。
「大丈夫だ。ティオ、幸せになれる。大丈夫だからな?」
「大丈夫の根拠が、分かりません……」
 ガイがティオの小さな体を正面から抱き寄せたのだった。心臓がバクバク煩い。目の前の、 黙っていても思念が騒々しいガイよりも、自分の心の音がティオの五感を支配する。
「大丈夫ったら大丈夫だ。もし、不幸がお前に迫ったら……」
「迫ったら?」
 また、ティオの声が震えた。背中をぽんぽんと優しく叩く、温かい掌。  いつも粗野な印象の男だが、今はどこまでも柔らかい。
 それは、大切にされている、ということ。
「迫ったら、不幸をぶっ飛ばしてやる。ティオも、殴れるぐらい元気になっとかないとな?」
「不幸を殴るんですか?」
「ははっ、じゃあ空高く蹴りあげるか?」
 肩が笑い声で揺れる。少しだけ力を抜いて、ティオは胸元に額を軽くくっつけてみる。 確認しなくても解った。それに、ガイはティオを恐れない。
(ああ、本気なんだ)
「不幸は殴れるんですか? そもそも」
「気合いで何とかなるだろ、ははっ!」
「気合いでどうにかなる問題ですか……?」
 先ほどから言葉に問い返しばかり続いている。何か聞きたい。自分がどうなるのか、 この病院のこと、外の世界。時間はどれだけ流れてしまったのか。
 それに、ガイのことを……ティオは、知りたかったのに。
「大丈夫だよ、ティオ」
 何でも叶えてくれそうな力強い声は、疑問さえも氷解させて。
「…………うん」
 ただ頷くだけで精いっぱいになる。涙が、全ての答え。 ささいな数多の質問より、切望したものを与えられて何度も、頷いた。
 ずうっとこのすっぽり覆われた世界にいていたいよと。





BACK