それは、ヨシュアがブライト家の一員になる前から、そしてそれ以後も日常的に見た事がある光景だった。 しかしこれまでと緊迫感の度合いが明らかに違う。そう、下手をすれば大惨事に発展しそうな……。
 力を相殺し損ねた反動でエステルが勢いよく後ろへ吹き飛ぶ。慣れと自身の身体能力で、そびえ立つ 木々に衝突する前に態勢を整えるが、ヨシュアは間に割って入りたい気持ちでいっぱいだった。
 もちろん、相対するカシウスは手加減をしているし、エステルも力を上手く制御している。 しかし今回は「鍛え直して欲しい」というエステルの願いもあってか、カシウスがいつもに増して厳しい 訓練を課している。
 新しい技をエステルに伝授する時、カシウスは力を加減はするもののエステルに技を受け止めさせる。 それを相殺する技量、相手に与えるダメージ……その両方を要求するカシウスの訓練は傍目には過酷だが、 エステルはそれを自然に受け入れる。やはり、父娘なのだとこんな時、改めてヨシュアは思うのだ。
『君は、女の子なんだから』
 この台詞はこと武術に関して言えば、エステルを傷つけることをヨシュアは知っている。 それに、ここまで過酷だと最早性別など関係ない。武道を歩む者としての気概の問題なのだろう。



 カシウスからの本日何度目か判らない熾烈な攻撃をエステルがやっと相殺しきれたのは昼過ぎから始まって、 肌寒くなる夕暮れになる頃だった。
 集中力が一気に切れたのか、エステルがその場で崩れそうになるのをヨシュアが慌てて抱きとめる。 ヨシュアに支えられながらも、エステルの瞳には明朗な光が宿っていた。
「遂にやったわ、ヨシュア!」
「そんなボロボロになって……父さんも、今日のはやり過ぎじゃ……ないかな?」
 そう、ずっと訓練中に言いたかったことをやっと義父に言えた。 これは批判では無く疑問だった。これまでと、何処か毛色が違うような感覚をヨシュアは感じ取っていたのだ。 そして、それはエステルも同様である。
「……エステル、どうだ?」
 娘の違和感を読み取ってか、カシウスは娘の眼を試すように覗いた。
「どうだって?」
「これまでと、何か違った感じがあっただろう? 率直に言ってみなさい」
「――――んー……」
 エステルはやや首を傾げながら、どう表現すれば良いか一瞬迷いながらも口にした。

「率直に言うと……スカッとした」
「…………」

 エステルのあまりにもあんまりな言いようにヨシュアが思わず頭を抱える。 新たな技を伝授される喜びは確かにあるだろう。それにしても、こんな傷だらけになって そう言い切れるエステルに僅かに眩暈を感じる。
「……ふふっ、なかなか正直な感想だな、それは」
 ヨシュアは今までに幾度も感じた事を改めて認識した。――間違いなく親子だ……この2人は。
「ん――、今までも強い気を扱う技を教えてもらったけど……今回は、何か違うような気がした。 影の国で見たって事もあるけど……」
「今日、お前に教えた技は『敵を屠る為の力』だ」
 カシウスの声音が厳しくなり、エステルはそれを撥ねつける強さで以て呑みこむ。 そこに怯みは無く、傍目には苛烈ささえ感じる姿だが、これが自然なのだろう。
「お前にはこれまで、負けない為の戦い方を教えたつもりだ。今日、教えたのは 相手を倒す為……勝つ為の戦い方だ」
「……何となく、解る」
 言葉で説明するのは苦手だ。しかしエステルは、これまで持っていなかった刃を 自分が手にしたことを感じ取っていた。扱いを間違えれば、これは凶器となる力だ。
「クロスベルに行けば、遊撃士としてお前たちは現地では新人でも、これまでの経験からも ベテランとして扱われるだろう。そして、ランクが上がれば上がる程、 勝たなければならない場面に遭遇するものだ」
「負けてはいけない場面と、違うの……?」
 エステル、そしてヨシュアもこれまで命を懸けた戦いをくぐり抜けてきた。 負ければ死が……そんな戦いも数多にある。
 力の『質』の違いは解っても、戦いの『質』までは2人にはいまいちピンと来ないのだった。
「――まぁ、そう固く考えるな。自然と体は動くもんだ……その時が来たらな」
「むっ、なんか勿体ぶってない? 父さん」
「口で言っても解らんことが多いからな」
 すっかり元気になって、父の腕を肘で小突くエステルにヨシュアはただ苦笑する。
 カシウスが言うように、これまでエステルに伝授して来たのは「負けない為の戦い方」だろう。 それは、常に傍にいられないカシウスの、娘を守る為の手段だったのかもしれない。 ヨシュアも、そして恐らくカシウスも認めているだろうが、エステルの武術の素質は高い。 護身術など生温いレベルに、遊撃士を目指しだした頃には到達していたのだ。
 遊撃士として独り立ちする為の、餞別なのかもしれない……今回の訓練は。きっと カシウスの本心は、娘がそんな「勝つ為の戦い」に遭遇することを望んでいない。 しかし、エステルの気質、そして遊撃士としての道がそれを許さないだろう。
(父さんなりの先手……なんだろうな、これは)


 ヨシュアがそんな思いに更けている中、 今夜の料理当番を懸けてのじゃれ合いのような試合がいつの間にか始まっていた。 多分この調子だと、夜目が利かなくなるまで続くのだろう……なんせ、この親子最大の取り柄は元気だから。
(……で、結局僕が当番ってことになるんだろうな)
 苦笑しつつ、家族を温かい料理で出迎える為にヨシュアはそっと家の中に戻るのだった。
 ……棒術具の響き合う音は、しばらく鳴り止みそうにない。




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