当時、その言葉は少なからずエステルに衝撃を与えた。
 共に歩もうと決意して、前を向こうと誓った筈であるのに、 エステルの中にチクリとした痛みを残す。
 遊撃士としてか、エステル個人としてか……それとも女性としてか。 エステルにも判断がつかないまま、忘れたと思っていたものは 隠されていただけで、今も其処に……。




 影の国から帰還を果たしたエステルとヨシュアは様子を確かめるべく、 リベールに戻ってから再び慌ただしくクロスベルに向かう為に準備を進めていた。
「ほんと、忙しいんだから」
 シェラザードなどは残念そうに言ったが、事情が事情である。 情報は、新鮮な内に。再会を願う少女がいつまでクロスベルにいるかも解からないのだ。 もしかしたら警戒して、離れるかもしれない……? そう、ヨシュアは心配もしたのだが エステルはそうは思わなかった。
「鬼ごっこもかくれんぼも、決まられた領地内でやるものよ。レンは、待ってる」
 そしてエステル達が及ばなかったらずっと手の届かない何処かで1人泣いているのかもしれない。 鬼は、いつだって誰かに見つけてもらうのを待っているものだから。
(鬼って言うよりは仔猫……かな。いつまでも独りで泣かせたりしない……絶対)
 元より少ない荷物をまとめ、エステルは一息ついてから顔を上げた。 2人が決めた出発は明日。カシウスは仕事の都合で既に家にはおらず、シェラザード達に 挨拶しにギルドに立ちよってから王都に向かう予定だ。
 隣の部屋から感じる気配はもちろんヨシュアのもの。お互い部屋に戻ってこうして準備を していたのだが、エステルはふと「あ……」と声を漏らす。
 確認し忘れていたことを思い出し、エステルは立ち上がった。




「――ヨシュア、いい?」
「どうぞ」
 ノックの後、ゆっくりドアを開けるとヨシュアが念入りに荷物を確認している最中だった。 それでも物が散乱せず整然とした印象を受けるのはヨシュアらしいと言うべきか。
「もう終わったのかい?」
「うん、まあね」
 鞄の中に手際よく常備アイテムを詰め込むヨシュアを、エステルはベッドに座りながら しばしじっと見つめる。その視線には明らかに含みがあり、ヨシュアは全部入れ終えてから 意を決して訊ねた。
「ええと、エステル? 何か用があるんじゃ……」
「――――うん、決めた!」
「……は?」
 ベッドから勢いよく立ち上がるエステルの眼は燃えていた。 そういう時のエステルには逆らわない方がいい……というのがセオリーなのだが、 目的が読めないと対処に困る。特に、今回は嫌な予感がするのであった。


「今からヨシュアの身体検査をします!」
「………………は?」


 エステルの言葉の意味を呑みこめず、ヨシュアは再び同じ声を漏らす。 しかしそんなヨシュアをよそに、エステルは「さ、まっすぐ立って立って!」と 催促する。
「え、ええと……エステル、これは一体……って」
 言われるがままその場に直立したヨシュアを、今度はエステルが身体のあちこちを 念入りにチェックし出す。エステルは身体検査……に夢中らしいが、ヨシュアにしてみれば 前髪がかかるほどの距離でわき腹、下腹と服の上からでも触れられると胸がざわついてしまう。
普段は不意に目と鼻の距離になった時など初々しく頬を染めるエステルであるのに、  こういう時は全くだ。何が目的かまだ掴めないが、熱心にぶつぶつ言いながら作業にあたる 彼女をそっと見てヨシュアは思わず深いため息をついた。
(猪突猛進……ほんと、周りが見えなくなるんだから)





「……で、成果はあったの? エステル」
「むむむむっ」
 10分ほど時間が経過して、流石にヨシュアが聞くとエステルはただ唸った。
「教えてくれるかい? どうしていきなり身体検査なんだい?」
「…………まだ、持ってるのかなぁって」
「何を?」
 エステルは一瞬だけ躊躇を見せたがキッと表情を変えてヨシュアを正面から見つめた。
「クスリ」
「……えっ」
「その、回復とかじゃなくて……ヨシュア、持ってるでしょ?」
「あ……」
 少しだけ拗ねた声音。思わずヨシュアもエステルを見返す。
「影の国で……双連撃の時、毒を仕込ませてたでしょ? あたしと一緒に旅をしてた時は 無かったけど、いつの間にか。前に、ボクっこに言われたことあるのよ」
「――――なんて?」
「ヨシュアは、あたしといない時の方が強かったって」
「…………」
「一緒に歩いていこうって決めたし、支えあったらもっと強くなれるって思う。 思うけど……ヨシュア、あたしに遠慮してるの?」
「エステル、それは……」
 きゅっとエステルが拳を握りしめる。眼に、うっすら涙が滲んだ。
「あたしだって武道家の端くれなんだからね! あたしのレベルに合わせて弱くなってるとか、 腹立たしいんだから! それに、あたしがいない時にそんな風に戦い方を変えるヨシュアも なんか嫌だったの! ワガママだけど……っ」
「エステル……」
 一気に言いきって俯き黙るエステルの肩はわずかに震えていた。ヨシュアがそっと手を伸ばそうと したところで再びエステルがパッと顔を上げた。
「なんかヤだな、ひがみっぽくって! ヨシュアより弱いのは確かだし、効率よくヨシュアが 戦ってるってのも頭で解かってる! もっと強くなれって話よね、あたしが」
「……そうやって、自己完結しないでよ、頼むから」
 今度こそヨシュアはエステルに手を伸ばし、自らの腕の中におさめる。 エステルは黙ったまま、されるがまま受け入れていた。
「エステルが言いたいこと、解かるよ。確かに僕の戦い方は効率よく倒すことに傾いていた。 最初は早く君を解放する為だったかもしれないけど、自分に染みついた戦い方だったから…… ラクだったんだ。倒すこと、殺すことを目的とした手段に」
「ヨシュア」
 腕の中に閉じ込められていたエステルが身を捩らせヨシュアの方に顔を向ける。 ヨシュアの中に、悲観は無い。柔らかな苦笑を滲ませ、更に続けた。
「それは強さとも言えるかもしれないけど……あの時、そう……レーヴェと戦った時、 彼の剣を弾くことに成功したのはまた、違う強さだろう? 僕が新たに得た力……君だ、エステル」
「あたしが……力?」
 エステルの瞳が戸惑いに揺れる。
「今までの僕はそう……捨て身の強さだった。死ぬ覚悟なんて言葉じゃない、死んでもいいから 何でも出来ると思っていたのかもしれない。でも、今……僕は生きたい。君がくれた別の力だ。 確かに遊撃士らしくない戦法だし、エステルが望むならもう、あの薬は使わない」
「ヨシュア……。うん…………ありがと」
 照れ臭そうにエステルは笑った。同じように、ヨシュアも。妙に気恥かしい空気が2人の間に流れる。
「どういたしまして」
「結局、あたしのひがみっぽくてヤだけど。なんか悔しいんだもん、ボクっこが知ってるのに あたしの知らないヨシュアがいるのって」
 表情をころころ変え、今度はムスッと言うエステルにヨシュアは眼を瞬かせる。 エステルは何気なく言っているが、要するにそれは……。
「今の僕も、ここにいるエステルも、僕たち2人以外に誰も知らないだろう?」
 ヨシュアが掌をゆっくりエステルの頬に這わすと、一瞬だけぎこちなく身体を硬直させてから 柔らかく微笑んだ。いつもは太陽のように眩しい笑顔が、今は蜜のような甘さでヨシュアを誘う。 先ほどは無遠慮にヨシュアの身体を触っていた手が ゆるゆると背中にまわされるのが何だか可笑しくもある。
 エステルに見破られなかった数々を脳裏に浮かべてからヨシュアは自らのスイッチを切り替える。 エステルにだけ働く、彼女の存在だけが作用する特別なスイッチを。
(ああ、後で見つかる前に処分しとかないとな……)


 そこに無粋なものは必要ない
 あとは、引き寄せられるまま……





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