絶対的な光。いつも彼女が感じ、拠り所にするもの。
 それは、ヨシュアと同じ太陽だった。
 違うものがあるとすれば、場所なのかもしれない。ヨシュアはエステルと出会い、愛した。エステルもヨシュアと出会い、心を通わせ今に至るのだ。
 エステルにとっての太陽は違う。エステルは自らの内側にそれはあるのだと言った。まるで原初の核、エステルを構成する一部のような存在だった。
 それを切り離そうと、そんなものに嫉妬するなんて馬鹿げた話なのだろうか。ヨシュアはベッドの中で寝返りをうつ。
『おまえにとって、エステルはどんな存在なんだ?』
 カシウスの問いが脳裏に甦った。
 最初、ヨシュアには何もなかった。ハーメルの村で暮らしていた頃、ヨシュアにも穏やかな生活、家族、慕っていた兄のような人がいた。しかしそれらはもう記憶の中でしか存在しないもの達だった。ワイスマンの人形になった時からヨシュアは全てを失ったのだから。
 人を殺すだけの道具……それが、ヨシュアという存在だった。そこから解放したのはカシウスだった。彼は力強い手でヨシュアをつかみ、闇だけが広がる世界からヨシュアを連れ出した。しかしカシウスは甘い人間ではなかった。やはり、連れ出されてからもヨシュアには何もなかった。
 闇の中から、突然眩しいまっさらな世界に移っただけ。正直、ヨシュアは途方に暮れた。  そんな何もない世界へ無遠慮に乗り込んできた少女。それがエステル・ブライトという少女だった。しかしエステルでさえヨシュアにとって最初はただの異物でしかなかった。そして、拒絶されようとも強引にエステルはヨシュアの眼の前に現れた。まっさらな世界がゆっくり崩れていく音を感じても、固く目を瞑り、耳を塞ぐ日々。
 ――――そして……。
「これが伝説のアノ虫だ!」
 それは、自分の為だけに向けられた笑顔。家に持って帰る訳にはいかないからと、結局放したその巨大な虫は、力強く羽ばたいていった。そう、見上げた場所に空が生まれていたのだ。
 そして隣には、ヨシュアと視線をあわせて満面の笑顔を浮かべる少女が。
 すぐに次の獲物を目指して森の中へ走っていく。ヨシュアの周囲にはいつの間にか空と、森と、水。自然の色で溢れていた。その中を、自由に駆け回るエステル。視線は少女を追いかけた。
 何もなかったヨシュアの世界に、エステルは次々とたくさんのものを連れてきた。椅子、机……生活する空間が広がった。
 エステルを避ける為にいつも外で休んでいたヨシュアが、初めて宛がわれた部屋で休んだ日。いつも近くで寝息を感じていた少女の温もりを思い出してしまった夜……。そこではっきり自覚した。ヨシュアにとってエステルという存在の意味を。
 ヨシュアにとって世界の中心でなく、全てがエステルを通した世界だった。絶え間なく注がれる光……ヨシュアの影を、エステルはいつも照らした。闇に怯えるヨシュアに気づいてかは解らないが、エステルは自然とそれをやってのけたのだ。
「……絶対的なものが、揺らいだら」
 カシウスの言葉がまた、甦る。

 ヨシュアはエステルに出会った。エステルも、ヨシュアに出会った。
 エステルがヨシュアに意識せずとも与えたもの全てが、今のヨシュアを構成しているのなら。
「見つけなきゃいけないんだ、僕は」
 ヨシュアは目を閉じる。バルコニーで語らったエステルの顔が瞼の裏に浮かんだ。お互いの熱情を交わす時の表情と、自らの太陽について語る無邪気な表情。どちらも、ヨシュアが出会ったエステルに違いない。
(何も持ち得なかった僕に、君はたくさん与えてくれた)
 ――――それ以上に。何よりも先に……。

 エステルの世界には、ヨシュアはどう息づいているのだろうか。入る余地のない、太陽の息吹が隅々を包む世界……?
 それを淋しく思うのは無意味なことなのか、今のヨシュアには解らない。ただただ、与えられた全てを想った。



 翌朝はレンの「一緒にいく」という一言から、仕事は3人で請け負うことになった。カシウスは3人を送りだして、今日は家でのんびりするらしい。夕食当番は任せろという言葉に甘えて、エステル達は「いってきます」と声を揃えて出発した。
「ちょうど良かったわ」
 ギルドに入るなり、アイナが表情を綻ばせる。
「何かあったの?」
「何かあったというか、エステル達にお願いしたいという依頼でね」
「それは……いったい誰が?」
 アイナの様子から、緊急事態という訳でもないことは分かった。
  「ガートンさんよ。とびきりの翠耀石の結晶が採れたから、ぜひ女王陛下に献上したいということらしくて。それをエステル達に頼みたいという話よ」
 偶然ではあったが、去年の女王誕生祭の時の献上品もエステル達が請け負った。エステルとヨシュアが準遊撃士の時に請け負った最初の大仕事から正遊撃士になった2人まで、ある意味ずっと見守り信頼してくれているのだ。今回は初めて「ぜひ、2人に」という言付けがあったらしい。基本的に遊撃士を選ぶのは受付の役目なのだが、実力も気心も知れているので問題なしとアイナは判断した。
「そりゃモチのロンで引き受けるわ! 鉱山まで引き取りに行けばいいのね?」
「カシウスさんが帰ってきてる時に悪いわね」
「飛行船ならすぐよ、すぐ!」
 エステルはヨシュアとレンの顔を見合わせ、にっこり破顔した。
 「じゃ、早速行きましょ!」


 遊撃士の足だと鉱山までの道のりはそう苦ではない。しかも、ロレント地方はエステル達にとって庭も同然だ。魔獣との戦闘はできるだけ避け、昼前には目的地にたどり着いた。依頼人の親方と他の作業員は、鉱山内部の比較的浅い位置で休憩をしている最中だった。
「休憩中のところ、すみません」
「遊撃士協会の者でーす! ガートンさん、来たわよ!」
 声をかけると、親方が「おお!」と気さくに片手をあげ応じた。
「今日はブライト家の3人組が揃い踏みか。簡単な仕事に些か遊撃士を使いすぎちまったようだな? アイナにも悪いことをした」
「ううん、本当に無理な状況ならアイナさんはちゃんと言う筈だから、大丈夫ってことよ。シェラ姉がそろそろ戻るらしいし。それよりアイナさんから聞いたわよ。責任もって運ばせていただきますとも!」
「ねぇ、早く翠耀石の結晶を見たいわ」
 レンがエステルの服の袖をつん、と引っ張る。レンは綺麗なもの、可愛らしいものが好きだ。エステルも好きといえば好きだが、質が異なる。その違いをエステルもレンも特に気にしていない。
 期待と好奇心を隠さないレンに、ガートンは盛大に笑った。
「おぉ、いいとも。これが俺たちの仕事の集大成ともいうべき結晶だ……」
 親方は無骨な手で、いかにも貴重品をしまい込む為のものだと一目で解るボックスから慎重にそれを取り出す。同時に坑道の薄明かりとはまた別の輝きがキラリ、キラリと辺りを照らし出した。
 レンにとって高価な宝石は珍しいものでは無かった。繊細な装飾が施されたティーカップ、名匠が作り出した人形。どれもレンが好むものばかりだ。しかし、親方の手のひらの上で輝いているそれはレンが見てきたものと全く違う存在感を放っていた。輝きは、表面のいたる所から漏れている。それを覆う皮のように鉱石がまばらに包み込んでいた。
 レンの関心に気づいたのか、親方が道具箱から小さなハンマーを持ち出してきた。そして、カン……と静かに響かせるように、端の部分を小さく砕く。割れ目から溢れんばかりの翠色の光が満ち、エステルとヨシュアも初めて触れるものではないのだが、思わず感嘆の声が出た。
「これぞ、ロレントの大地と女神の恵みが生み出した輝きだ」
 親方は誇らしげだ。ゆっくり、エステルの手のひらに渡される。
「……最初、まだひよっこの嬢ちゃんだった頃のエステルはこう言ってたな。妖精を持ってるみたいだってな」
「あはは、うん……だってこんなに綺麗だし。それに親方さんの今の言葉を聞いたらますますね。ロレントの大地と女神の恵みかぁ」
 エステルは携帯している道具鞄に紙で二重に覆ってから結晶を丁重に入れた。そのまま入れるよりはましだろう。

「……ねぇヨシュア。さっきから黙ったままだけど、どうしたの?」
 レンは、ヨシュアの隣に並んで声を潜めた。
 ヨシュアは一連の流れをじっと見つめていた。普段から多弁ではないが、親しい相手でもある依頼人に対して口数が少なすぎるレンは疑問を抱いたのだ。
 さすがレン、と内心思いつつも、ヨシュアは「深刻なことじゃないから大丈夫だよ」と答えておく。レンは「そう?」とだけ返してそれ以上問いたださなかった。
 ヨシュアとレンは、親方から女王陛下への書類を受け取るエステルに視線を移す。先ほどの美しい光を見たせいか、入った時よりも坑道が暗く感じられた。最初から此処は、暗い場所である筈なのにだ。
 エステルは少し離れて並び立つ2人の方を振り返り、「さーて、一気にグランセルに行くわよ!」と元気よく声をかけた。
「今のうちなら余裕で今日中に終わらせられるわね」
 レンは頷く。すると、隣のヨシュアが……。
「――――ごめん、エステル、レン。今回は2人で運んでもらえないかな」
「え?」
 突然の申し出にエステルは目をぱちくりさせる。
「なにか、用事? もしかして体調悪いの、ヨシュア?」
「そういう訳じゃないんだけど」
 ヨシュアの視線がゆらりと泳いでから、ガートンの方をちらりと覗く。歯切れが悪いヨシュアの顔色を確かめようとエステルが駆け寄ると、レンが先に微妙な空気を払拭した。
「ヨシュアにだって野暮用の1つや2つあるんでしょ。今日はエステルとレンで行きましょう」
 仕事内容は確かに腕利きの遊撃士を何人も割くものではない。ただ、グランセルには親しい人たちがいるのでアイナが取り計らってくれているだけで。釈然としないながらも、エステルは一瞬だけ迷ってから頷いた。
「体調が悪いとかじゃないのよね? なら、うん……行ってくる。先に家に帰っててね」
「ごめんね、突然。……レン、この借りはまた」
「うふふっ」
「じゃ、行きましょっ」
「うん!」
 嬉しそうなレンに、ヨシュアは「これは貸し借りは無しかな」と内心思うのであった。
 先に走って出ていったエステルとレンの後ろ姿が見えなくなってから、後方で成り行きを見ていたガートンが一歩ヨシュアの方に進み出た。
「……で、俺に用があるようだな? その様子だと」
「すみません、ガートンさん」
 まっすぐ頭を下げるヨシュアの表情は、先ほどまで見せていた冷静な遊撃士の顔とはどこか違っていた。強いて言えば、余裕がないといったところか。他の作業員も不思議そうに見守る中、ヨシュアは意を決して口を開いた。
「あなたに、お願いがあります」



 鉱山を出て、新鮮な空気をまず深く吸い込んでからエステルはレンの表情をチラリと横目で見た。
「ヨシュア、様子おかしいわね? どうしたんだろ」
「ええ、そうね。でもレンじゃなくて直接聞けば良かったじゃない」
 当然の言葉だったが、エステルは少し考えてから苦笑した。
「あたしに知られたくないようだったから」
「……ふーん」
 エステルは鈍いようで案外見ているのだ。そう思ったのが顔に出たのだろうか、エステルはすんなりと。
「そりゃあヨシュアのことなんだから」
 言いきってすぐ、気持ちは仕事に向かった。
 何かを考えているのは分かったが、かつてのように深刻に思い悩んでいる風でも、自虐的な方へ陥っている様子でもない。だから、信じていればいいだけだ。
 最初から心は決まっていた。





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