ヨシュアがロレントに戻ると、エステルとレンはまだ帰っていなかった。
 休日なら、レンがティータイムの準備を始める頃合いだった。夕食までには帰るという連絡がギルドを通してあったので、あと2時間ほどかかるだろう。アイナに経緯について簡単に説明してからヨシュアはまっすぐ家に帰った。
 子ども達から留守番を預かったカシウスはのんびり読書をして過ごしていた。いつもは食事が並ぶテーブルの上には本がいくつも散乱している。
「おう、ヨシュア? 1人か?」
 3人を見送ったが、帰ってきたのは1人。当然の疑問をカシウスは口にした。ヨシュアは曖昧に「うん……」とだけ答える。
「何かあったのか?」
 魔獣討伐や届け物といった依頼を数多くこなしても、ヨシュアが疲れを見せることは少ない。ヨシュアは普段通りのつもりなのだが、動きがやや緩慢なのである。
「ちょっとね。……父さん、今、話いいかな?」
「ああ、いいとも」
 カシウスは椅子から立ち上がりキッチンの方へ向かった。ヨシュアが気づき同じくキッチンに踏み出そうとするとカシウスが先に止めた。
「今日は父さんが美味いコーヒーを飲ませてやろう」
「……うん」
 ここは素直に厚意を受け取った方がいい。そう判断してヨシュアは席に着いた。


「……で、話とは?」
 カシウスには予想がついていた。おそらく先日の話の続きだろう。あれから1人で色々考えたのかもしれない。いや、確実に考えていただろう。ヨシュア・ブライトというカシウスの息子はとても生真面目な青年だから。
「父さん、父さんはレナさんのことを、空のような存在って言ったよね。それの意味が知りたくて」
 カシウスは「ふむ」とヨシュアの目をまじまじ見つめた。エステルの話題がくるかと思えば、カシウスの話した内容についてである。
「レナさんは、父さんにとっては女神に等しい存在?」
 ヨシュアがカシウスの言い方からそう捉えるのは自然だろう。カシウスもちょっとした悪戯心半分の本気で答えたのだ。
「ヨシュア、おまえは空といえば、どんな空を思い浮かべるんだ? 女神が常に人間を見守り続けるという空のことをだ」
「……? 何処までも大きく広がる、深くて青い……」
「そこだ、違うのは」
 カシウスの指摘にヨシュアが視線で疑問を呈した。
「最初にな、レナが俺のことを空の色だと言ってくれたんだ。俺の言葉もレナの受け売りでな」
「レナさんにとって、父さんが?」
 カシウスは多くの人から偉大な人物として認識されている。ヨシュアもまた、カシウスを父親として、人間として尊敬していた。空という喩えは聞けば納得する人の方が多いだろう。しかし、それがベストの回答かと問われるとヨシュアには違和感がある。
「レナの中の俺と、ヨシュアの中の俺も、また違う顔をしているだろうよ。レナは俺の眼を、空の色だと言ったんだ」
「眼……?」
 カシウスの眼の色は、光の加減で違いは出るがエステルにも引き継がれた紅だ。エステルは眼の色はカシウス、髪の色や顔のパーツはレナから受け継いだものらしい。エステルが「レナさんに似てきた」と言われ嬉しそうに微笑む姿を何度かヨシュアは見たことがある。
「俺自身の立ち振る舞いも関係してるんだろうが、俺の眼を見ると皆が炎の色だと言った。時に苛烈な、誰も寄せ付けない、独りで生きる者の眼だとな」
「……父さん、昔はその、結構……」
「ま、俺も若かったからな。人当たりは悪くないが、何を考えているか分からん程度に思われていたんだろう。俺も解ってもらわなくていいと突っ張っていたからな」
 カシウスが苦笑いしつつ語る、自分の過去。レナの話から、思わぬ形でカシウス自身の興味はあった筈なのに聞いてこなかったことの一端が垣間見え、ヨシュアは改めて父の眼の色を確かめた。きっとカシウスは、相手がヨシュアだから敢えて自分のことを伝えてくれているのだ。
 ゆっくりと、カシウスの言葉がヨシュアの胸に溶ける。
「レナさんにとって、父さんは空の色だったんだ。そして、それは……」
「ああ。俺もそうなりたいと願った。そして、俺にとってもレナはそういう存在だった」
 カシウスは立ち上がり、窓から片手でカーテンを押さえながら空を見上げる。
「ほら、帰りたくなる色だ」
 その声は、カシウスにしては照れ隠しが滲んでいてヨシュアはそっと微笑んだ。  誰にでもあるのだ、きっと。自分の中で大切に抱え、守ってきたものが。その一部を自分に見せてくれたカシウスに、ヨシュアは心から感謝した。
「……ほんとだね」
 ヨシュアも立ち、同じように空を見上げた。
 今、帰途にあるエステルとレンも同じように感じるだろうか。もしかしたら全く別の感情が生まれるかもしれない。
 そして、そのどちらでもいいのだ。空も、見上げる瞳の色も。
 違っていて、違うから、見つけることができた。





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