夜の空気はさらに深まっていた。森は風と共に揺れ、存在感をたっぷり示す。陽のあたる時間は眩しいまでの輝きを放つロレントの自然も、今は2人を外界から切り離す為だけの闇にすぎない。
 微かにまた、腕の中でエステルの肩が小刻みに震えた。日中よりは気温が低い。しかも薄いネグリジェだけの姿で腕は無防備にさらされている。
「だいじょうぶ……?」
 今ここに燈った熱を手放すのは惜しいが、暗に部屋に戻ろうかと問うた。
「大丈夫じゃない……さむ、い」
 はっきり、エステルは意思を伝えた。紅い眼からは尚も涙が溢れていた。頬からゆっくり伝い、床を濡らす。その流れを、ヨシュアの指先が掬った。エステルの腕はヨシュアの肩にまわされたままで微動だにせず、ただ待っている。
「わかった……」
 顔を近づけるとエステルは自然と眼を瞑った。そうすると出逢った頃のまだ幼い少女の面影が色濃くなる。母の影を、光を追いかけ続けた、置いて行かれた少女の顔に。
 引き止めたのはヨシュアだ。彼女が言う、この冷たい世界に手を掴み、留まって欲しいと願った。それを伝える術は言葉。そして、彼女の体を繋ぎとめること。浅ましいことなのかもしれない。けれど、エステルもそれを選んだ。
 ネグリジェの上から乳房を包み込むように掌を這わせると、背中に一瞬電流が走ったかのように弓なりに反らしエステルは声にならない声をあげた。カシウスとレンが家の中で眠っている。起きている気配は感じられないが、家族を気にする理性だけは手放せないらしい。それはヨシュアとて同じなのだが、肌を掌が辿るごとに反応を押し殺すエステルの姿が胸の炎を煽る。エステルはまるで、息だけで言葉を発しているようだった。その息の温度がヨシュアの手によって徐々に高まっていく。
 快感のまま声を発すれば、捌け口になるのかもしれない。しかし、自らにそれを禁じながらヨシュアの愛撫を受けるエステルには無理な話だ。押し殺した声が、そのままエステルの中で反響した。
 右手はゆっくり大腿まで下り、温めるように丁寧に撫でる。全身の力が抜けてゆく。左手でエステルの頭を支え、ヨシュアはエステルの涙を舐めとった。栗毛は、夜の闇の中でも僅かな月の光をうけ太陽の光の下とは違う色彩を放っていた。息は荒く、ネグリジェはヨシュアの手によって巻くしあげられ下半身、そして腹部は露わにされた。薄布を押し上げると、エステルの豊かな乳房が快楽をやり過ごそうと上下に揺れるのが見えた。直接、ヨシュアはエステルの胸元に唇を落とす。エステルの背中に緊張が走り、すぐ弛緩した。ついに耐えきれずヨシュアの肩から腕をはずし、口元を押さえる様にエステルは声を飲み込む。強く中心の突起を吸われ、強烈な甘い痺れに微かに吐息混じりの声が漏れる。
 自分ですら初めて聞いたような、甘ったるい声にエステルは上気した顔をさらに赤くさせた。それに気付いたのか、ヨシュアが顔を上げた。ヨシュアの息も上がっていることにエステルは少しだけ安心した。ああ、同じだ……と。
「……はずかしい、の」
 無論2人が肌を重ねることは初めてでは無い。羞恥心が無い訳ではないが、恋人としての歓びをお互いが感じあえる経験を重ねてきた。まるで初めての夜のように、もしかしたらそれ以上に。
「あたしにも分からないから。これから、どうなるんだろうって」
 エステルはグッと掌に力を込め、床を押して上体を起こした。ヨシュアも同じように体を起こし、2人は改めて向かい合う。
「怖い……?」
 エステルとまだ手を繋ぎ、抱きしめ合い。キスをするのが精いっぱいだった頃。確かに愛情はあったが、なかなか踏み出せない2人に訪れた、一線を越える寸前の危うい夜があった。その時、エステルはヨシュアのことを愛しているが、怖いという言葉を口にしたのだった。
 ヨシュアの気遣うような声に、エステルは曖昧に答えた。
「わからない」
 新たな涙が、エステルの頬を伝った。
「分からないのが、怖いんだね」
 エステルがゆるゆると右手をヨシュアの方へ向けた。それを、しっかりヨシュアの左手が掴む。指を、そこにいることを確かめるように絡めて。
「……あたたかいのは分かる」
 涙は、いつの間にかこんなにも熱い。自らの内側から発するものの熱。――――そして。
 ヨシュア、とエステルはたった1人の名を呼んだ。それが合図だった。
 ヨシュアは丁寧にエステルのネグリジェを脱がし、自分のシャツを荒っぽく脱ぎ床に捨てた。ほぼ裸体となったエステルを抱きしめる。しなやかな肢体が夜の闇と月明かりの中、ぼんやり浮かび上がるようだった。そんな儚げに見えて、触れ合う部分の全てが燃えるように熱い。
 まるで太陽――――そう思いかけて、ヨシュアは止めた。
 耳、首筋、胸元、そして腹部と舌でエステルの肌を確かめるたびに、互いの理性が弾け飛びそうになった。何も考えられないように、ヨシュアは愛撫を深めていく。琥珀の瞳は淀んだ欲をありありと映し、それは見惚れそうなほどエステルの心を奪う。
 閉じ込められ無機物のような美しさを持った蝶ではない。そこには、みなぎるような情欲が宿っていた。
 ヨシュアの指がショーツの中の秘められた箇所を何度も丹念に這うとエステルが堪え切れずヨシュアの胸板に顔を押しつけ、まるでいやいやをするように首を横に振った。ヨシュアも昂りを宥めるのに必死だった。十分に慣らしたのを確認し、ショーツを脱がす。エステルの抵抗は全くなかった。元より与えられた刺激に汗ばみ、肩で息をしてそれどころではないのだ。
 エステル、とヨシュアは先ほどエステルがそうしたように名を呼んだ。
 そして、ゆっくり腰を沈める。微かな悲鳴が空気に溶けて消えた。徐々に激しさを増し、声を押し留めるエステルの行き場を失くした快楽の渦が体内で轟く。熱情に丸ごと内側から食い破られそうな錯覚で頭が真っ白に染まった。視界には、一面の星空。そして、存在全てを求めてくる青年の瞳に宿る、星たちに劣らず美しい光があった。
 互いの匂い、肌が擦れる音、動きと共に漏れる息づかい、夜の闇が囁く気配。呼ぶ声、応える声。交差する視線。今、生みだされる全てが一瞬で2人の間を通り過ぎて行く。つかの間だけれど確かに存在して、新たに刻まれていくものたち。いつか色あせてしまうものでも、それは……。

 一度、二度と果て、折り重なり呼吸を整えてから、2人は服を着てエステルの部屋のベッドの中に潜り込んだ。レンとカシウスが起きて来る気配がないことに、悪戯が成功したように微笑みあう。
「もうちょっとだけ、ここにいて」
 額にキスをして、部屋に戻ろうとするヨシュアの手を掴んだのはエステルだった。素直に自分の口から出た言葉に、エステルは驚きと穏やかな気持ちを抱いた。ヨシュアは嬉しそうに笑っていいよ、とだけ答える。
 自分を包みこもうとする青年に全てを委ね、エステルは頬を逞しい胸に擦り寄せた。頭を撫でられる感触は、懐かしいそれではなかった。全く別の、ヨシュアが「与える」と言ったものはこれなのかもしれないとエステルは思う。
 尊い音が振動と共に聴こえてくる。それだけで、泣きそうになった。
 失っていない、何も。――――そう、何も……。





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