コン、と小気味よい音がした。ヨシュアが顔を上げるとテーブルには麦茶が置かれていた。
「ありがとう、エステル」
「どーいたしまして。よく飽きないわね、それにしても」
 ヨシュアの手の中にある開かれた本の背を、つんとエステルがつつく。
「エステルがくれたんじゃないか、この本」
 そうなのである。ヨシュアが読書好きなのは周知の事実であるのだが、エステルからヨシュアに本を贈るのは珍しい……というより、初めてだった。 因みに逆パターンは、主に学習を促す意味でこれまでに何度かある。
「それはそうだけど」
「エステルがいきなり本を、って驚いたけど、内容はエステルらしいね」
 ヨシュアの正面の椅子に座り、エステルは自分のコップに麦茶を注いだ。
「ちょっと、目に入ったから買ってみただけ」
「それでも嬉しいよ」
 そう言ってヨシュアが微笑むと、ふわりと柔らかい風が吹いたような気がした。エステルがそう感じただけかもしれないが……。
 そしてすぐヨシュアは本の文面と写真に目を移す。エステルは椅子に座りながら、足を交互にゆっくり揺らした。
「行儀悪いよ、エステル」
「は〜い」
 間延びした返事に苦笑する。2人で暮らすに十分なアパートの広さ。 1つ、テーブルを挟んだ距離は呼吸の音さえ聞こえる。
「ヨシュアがそんなに食いつくと思わなかった」
「本そのものが好きなのかもしれないね」
 パラリとページをめくれば、そこには新たな写真と解説がびっしり掲載してある。 エステルが選んだ本は、『クロスベル近郊で釣れる魚名鑑』であった。 エステルの趣味に沿った本であるが、ヨシュアは気にせず、寧ろ嬉々として新たな本を手にした。
 そして、今こうして冷房が利いた部屋で腰を落ち着け、仕事の合間をぬってのんびり読書をしている訳だ。
(あ、ちょっと拗ねてるかな)
 ヨシュアは忙しく文字を追いかけながら、こちらに向けられた熱心な視線を分析する。
 コップに手を伸ばし、お茶に口をつけることなく、コップをそのまま弄んでいるように見えた。
 エステルの行動の意味を、ヨシュアは察した。 最近、日中も夜も仕事以外で外出する機会がなかった。 時折、エステルは釣り仲間と夜釣りに繰り出す日もあるが、クロスベルはとにかく大から小まで依頼が多く、遊撃士は休める時にしっかり休むことが求められていた。
 今回の件は、エステルなりにヨシュアが釣りに対して興味が湧くように仕向けた……ということになるのだろう。 その意図は伝わっているので失敗ではないが、元よりヨシュアは釣りより読書を好む。
(ある意味、釣れてるのかも)
 エステルはじっとヨシュアの方を見つめている。それはまるで、お預けを食らった子犬のような目だった。
(…………可愛いけど、そろそろ本格的に拗ねるかな?)
 そうヨシュアが思ったのと同時だった。エステルがテーブルに身を乗り出して、ヨシュアの顔を覗きこむ。
「エースーテール、行儀悪いよ?」
「ヨシュアは魚を見てる時間の方が好き?」
 言いながら拗ねている、そして照れている。少し頬を赤らめながら言うエステルに耐えきれず、ヨシュアはついに肩を震わせてしまった。
「あはは、そうなるのか。そうか、なるほど」
「んんっ? そうってどういうこと?」
 1人で納得したように声を殺して笑うヨシュアに、エステルは不満げに頬を膨らませる。
(結局、お互い様なんだね)
 ――――つまり、そういうこと。
「そうだね、魚を見てるより君を見てる方が楽しいかな」
「もう、しっつれいね〜〜!」
 照れ隠しに顔をぷいと横に振ると、ヨシュアの視界で栗色の髪が元気に舞った。 なんという、みずみずしい躍動感。それを見ると、「確かに釣りたくなるかも」とヨシュアはまた笑った。


 空にまたたく星たちから、一粒の光をすくいあげるかのように……。
 最初に見つけたのは、どちらだっけ?




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