地方の巡察や魔獣討伐による派遣で軍人は各地をまわることが多い。
あまりそこには近寄りたくない、と思いつつも任務ならばそれは赦されない。
だから、昔の顔見知りがいるかつての地方からはさっさと任務を終わらせて直ぐに帰る算段だった。
早くレナと、エステルの元気な顔が見たい。
「あんた、あんたがカシウスかい? 立派になって……」
案の定、七十代ぐらいの男性に声を掛けられた。かつて此処にいた悪童が軍人になっている。
それに対し素直な賞賛が込められているのはカシウスにも解った。
相手に悪気は全く無いのだ。部下たちが興味深そうに見て来るのを視線で追っ払う。
正直、かつての地元の人間はカシウスの記憶の中では大分薄れていた。
それらはすぐに、家族と記憶が直結してしまうものだったから無意識にそうなったのかもしれない。
「ああ……どうも」
「親父さんもこれだったら安心だな、ああ。あの世でのんびりしてるだろうよ」
「…………は?」
一瞬、聴き逃すところだった。カシウスの呆けた顔を見て、今度は男性の方が驚いた表情を見せる。
「アンタ、知らなかったのか……親父さん、三年前に死んだよ。
ずっと患ってたらしいが、頑固だからアンタにも知らせなかったのかい」
任務は滞りなく終わった。家に帰るとツインテールを元気よく揺らしながら、
エステルが「おかえりなさい!」と出迎える。
エステルは四歳。走り回り、腕白し放題で危なっかしいことこの上ない少女に成長した。
「ああ……ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
台所に立っていたレナも、エステルに続いて出迎えた。
「ああ」とだけ答えてカシウスはさっさと自室に入って行った。
いつもなら任務から帰るとエステルが「もういい!」とカシウスを凹ませるぐらい遊んでくれるのだが、
今日は父の様子がおかしい。不安を覚えエステルの表情が陰る。そんな娘にレナは優しく微笑んだ。
「エステル、お父さん疲れてるからちょっと休ませてあげましょうね?」
「あなた、入るわよ。美味しいコーヒーとクッキーはいかが?」
帰ったきり、三時間は部屋に引き籠っていたことになる。
その事に今更カシウスは気付き、レナの気遣いに「あ、ああ」と戸惑いつつも感謝した。
余計な心配をかけてしまったかもしれない。
カシウスの手元にあるものに気づき、レナはにっこり微笑んだ。
「あら、やっぱり眼元はそっくりなんですね、あなたのお父様と」
「………似てる、か?」
それはかつて、母の死の知らせと共に送られてきた写真だった。
これを機に、一切連絡を絶つという意志だとカシウスは思っていた。
実際、連絡は来なかったのだ……。
「エステルはお母様に口元が似てるかしらね。ふふっ、優しい笑顔……」
レナがカシウスの写真を見つめながら微笑む。
レナの指摘を受け、改めて見てみれば確かにエステルにその面影があるように思えた。
今まで、顔立ちはレナに似て髪や瞳の色は自分のものを受け継いだエステルの容姿に、
我が子なのだと実感と喜びを覚えていた。
しかし、エステルが受け継いでいたものはそれだけではなかった。
そして、それはエステルだけに言えることでは無い。
「……眼元、か。こんなに厳ついか?」
「笑うときっと似てるんでしょうね。あなたの柔らかすぎる頭を少しだけ固めると更にそっくりでしょう」
「……そう、か……」
何を今まで見ていたのだろうか。見ずにこれまで過ごしてきたのだろうか。
そう、思った時だ。レナの手から差し出されたメモ用紙にカシウスは目を細める。
「お節介だと思いましたが、あなたの家族は私の家族でもあります。
モルガン将軍に事情は少し伺いました。エステルは私が見ていますから、
今からでもエステルのこと、私のこと……ご家族に紹介して下さいませんか?」
メモには、住所が認められていた。恐らく、それは……
「エステルに何かあった時、エステルがあなたを嫌いだと、
親だと認めないともし言った時……あなたは、エステルのことを我が子じゃないと切り捨てられますか?」
レナの真摯な目に、カシウスは飲みこまれていた。
部屋の外からエステルの賑やかな笑い声が聞こえてくる。
どうやら庭先でカエルでも見つけたようだ。
無邪気で、愛らしく、何よりも大切な娘。
レナの目鼻立ちを受け継ぎ、自分の眼と髪の色を持ち、
更に沢山のものを脈々と受け継いでエステルは生まれた。
エステルに限らず、自分たちはそういう生命なのだ。
「今なら、解るんじゃないですか? あなたはエステルの立派な父親なんですから」
「…………今からでもいいだろうか」
それは、後押しが欲しいから言った弱音だった。
彼女は全て受け止め、微笑んで頷いてくれる。
自分が何を恐れ、向き合うことを拒絶してきたのか知っているのだ。
「今からでも大丈夫です。絆は……あなたが思っているよりずっと、絶ち切れないものなのですから。
剣聖の剣技でだって、ですよ?」
「……勝てないものがあるっていうのも、良いものだな」
カシウスは笑った。既に、心の中に迷いは無かった。
自分にすぐ、レナのように全てを受け入れる度量は無い。
しかし今なら、以前とは違う気持ちで向き合うことが出来るかもしれない。
断絶の証だと思っていた写真に託された想い。
忘れないでいて欲しかったのだろうか、それともただ持っていてほしかったのだろうか。
自分も含めた、一つの家族が存在していたという事実と共に。
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