何が正解で、間違いなのか。この場合、誰が答えを持っているのだろう。
 
 ロレント地方、本日のお昼は快晴。
「たあああああっ!」
 エステルの振るう棒術具が魔獣の急所を直撃。手配魔獣はそこで息絶えた。後方のヨシュアを振り返る。魔獣を斬り伏せ、剣を収めていた。
「エステル、大丈夫?」
「うん。さっ、報告に行きましょ」
 エステルは元気よく頷き、進行方向をロレントの方へ向ける。ふわりと、ツインテールが風と共に揺れた。
 リベール王国自体はそれなりに安寧を維持しているが、事件や魔獣の出現は絶えない。遊撃士が担う役目は変わりなく大きいのだった。

 慣れたもので、てきぱきと報告を終わらせ報酬を受け取り、ひとまず二人は家に戻った。今日はティータの家に泊まりがけで遊びに行っていたレンが帰ってくる日だ。早めに買い物をして、食事の準備をしたいというエステルの意向なのだ。カシウスも明日には休みを取るという話なので、久しぶりの家族団らんが待っている。
 そういう訳で、エステルは機嫌がいい。傍にいて分かりやすいところは相変わらずであった。


 鼻歌まじりの帰り道はすぐに終わる。エステルは買い物袋を片手に持ちながら、まずポストを確認した。友人からの手紙、ギルド関連や軍部、時にはリベール王家からのもの。ブライト家のポストが受け取るものは様々である。機密性が高い場合はジークがはるばる王城から飛んできたこともあった。
「ん……届いてる」
 エステルは一通、シンプルな封筒を手に取る。消印はリベールのものでは無い。……というより、よく知る名前が差出人でエステルは喜びの入り交じった歓声をあげた。
「わっ、ロイド君からだ?」
「……ロイドから?」
 何の前振りもなく突然である。ヨシュアは喜びよりも何かあったのだろうか、と首を傾げた。
「中で確認しよう。エステル」
「うん、そうだね」
 エステルは丁寧に手紙をいつも携帯しているポーチに入れた。
 もうすぐ、所謂おやつの時間。レンが帰ってくるのは夕方過ぎだと連絡があったので、まだ時間がある。
 ステラが差し入れにくれたドーナツと紅茶を用意して、エステルとヨシュアは並んで席についた。便せんを開くと、ロイドらしい几帳面で、どこか豪快さも感じさせる字がそれなりの整然さを保って並んでいた。
「何か、あったのかな」
「う――ん。とりあえず読んでみるわね」
 便せんは一枚だけだった。最初に、簡単な挨拶とロイドたちの近況報告。彼らも変わらず忙しい日々を送っていることが伝わる。次に、エステルたちは元気にやっているかと親しみを込めた言葉が並んでいた。エステルは表情を緩ませる。クロスベルに滞在した期間はそう長くないが、濃密な日々を過ごした。その中で得た、大切な友人だ。
 エステルが文字をまるで噛みしめるように読んでいる傍で、ヨシュアは視線を忙しく動かし内容を把握したところだった。明らかに文面からも伝わるもの。ロイドがきっとそうだったように、ヨシュアも表情の選択に迷った。
 ゆっくり、エステルの表情を窺う。
 笑顔は、辛うじてあった。ただ、その笑顔はいつの間にか彼女が成長する中覚えたもので、らしくないものだった。エステルは、迷うことに慣れていない……というより苦手なのだ。
「……エステル」
「うん、ヨシュア」
 無理に明るい声を出そうとしても、綻びは隠せない。これはきっと、喜ぶべきことなのだろう。そして、もしかしたら正しいことなのかもしれない。
 エステルも、ヨシュアも自覚して全てを受け入れた筈だったのだから。全ては自分の我が儘であると。
 ロイドからの手紙には、彼らが受けた支援依頼について記されていた。
「ヘイワースさんが、スミレ色の髪の女の子……つまり、レンと連絡を取りたい。できれば会いたいから捜索を俺たちに依頼された。俺たちの一存で決める訳にもいかないし、先にエステルとヨシュアに連絡を入れさせてもらった」
 文章からは迷いと気遣いが感じられた。
 紅茶は既に冷めていた。エステルはドーナツをぱくっと口に放り込む。のどが、乾いた。
「レンに、ちゃんと話さなきゃいけないね」
 エステルの言葉に、ヨシュアは「そうだね」とだけ答える。淹れ直そうか、と言おうとしたら先にエステルが一気に紅茶を飲み干し、立ち上がった。顔には、いつもの笑顔。
「さーて、ご飯の準備を始めますか」


 レンが帰ってきたのは予定の時刻より少し遅い夜が間近に迫った時だった。ラッセル家で渡されたのであろう、茶菓子とティータからエステルたちへの手紙を携え、レンは「ただいま」と小声で言ってから定位置の椅子に座る。まだ、「ただいま」という言葉にレンは慣れていない。
 既にキッチンからは思わずゴクンと唾を飲んでしまうようなスープの匂いが立ちこめていた。テーブルの中央には湯気を立てるチキン。いつも通りの食卓である。明日はカシウスが帰ってくる。だから、料理はいつもより豪華になるだろうと、レンは予測した。
 カシウスと対面してから月日は流れたが、カシウスが基本的に家にいないのでじっくり会話した回数はそれほど多くはない。正直、レンにとってはその方が助かる。
 読めない人間は、苦手だ。エステルとヨシュアの家族として迎えられた。それは当然、カシウスも了承の上である。だからといって、レンがカシウスの家族として溶けこめるか……は別問題だ。
 そして、それをカシウスもよく理解していた。気まずくなる訳ではない、嫌悪感がある訳でもないのだ。こればかりはどうしようもない。エステルが聞いたら表情を曇らせるかもしれない、そう思って口に出さないが。
 そんなことをぼんやり考えていたら、テーブルにエステルが手際よくスープを並べていく。日によってはシェラザードも食事に同伴するのだが、今日は三人分。エステルとヨシュア。そして、レン。クロスベルで過ごした短い期間をふとレンは思い出した。
「量が多くない?」
「お腹すいてるんだもん。レンもしっかり食べてね」
「食べすぎると太るわよ?」
「そっ、その分運動するわよ」
 エステルが頬を膨らませて反論する。エステルはこの手の話題に関しては、反応が巷の同世代の女性と等しい。結局は色気より食い気が勝ることの方が多いのだが。
 エステルの料理の腕は、準遊撃士だった頃より格段にあがった。それでもヨシュアの方が上手く、次にカシウスが上手い。レンは気がついた時に手伝うのだが、ヨシュア曰く「始めればすぐに上達する」……だそうだ。
 エステルは何とか男どもに「ぎゃふん」と言わせたいようなのだが、先は長いだろうというのがエステル以外の共通意見だ。
 それでも、レンはエステルの料理が好きだった。「いただきます」を合図に夕食が始まる。
 スープの中の人参やキャベツの切り方は豪快で、さらに分割すべきだろうと感想を浮かべつつ、レンはスプーンで人参を半分に切る。
 ヨシュアの料理も、一緒に暮らしだしてからレンは初めて食べた。結社にいた頃、戦う術は教わったが料理など当然教わることも、作ることも無く。与えられたものを摂取する。ただ、それだけだった。そして、やはりヨシュアは料理も器用にこなす青年だった。
 ヨシュアは先ほど受け取ったティータからの手紙を見て、微笑んでいる。内容はレンも知っていた。今度、家族全員で遊びに来ないかという誘いだ。ヴァレリア湖で部屋を取って、のんびりするのもいい。読めばティータの「行こうよ!」という声が聞こえてきそうな手紙だった。
 ヨシュアがエステルにティータの手紙の内容を伝えると、喜色満面で「行こう!」と乗り出す。問題はカシウスの休暇とエステルたちの仕事状況だが、エステルはなんてこと無いように笑った。
「その日までに頑張れば大丈夫だって。父さん、こういうのに関しては要領いいから休みだってもぎ取るわよ」
「モルガン将軍には申し訳ないけどね、それはそれで」
 ヨシュアが苦笑する。カシウスは家に帰れば「モルガン将軍が早く引退させろとうるさいんだが、先に俺が引退するつもりなのになぁ」とヨシュアに愚痴るのだ。エステルに言えば「そりゃ父さんの方が若いし文句言うでしょ」だけで済まされるので、こういう場合は息子に甘えるカシウスである。
 その判断は、正しい。
 レンのラッセル家での出来事を中心とした雑談は、時間を忘れさせるように弾んだ。
 スープをおかわりしようと、レンは席を立つ。そこで、ふと視界の端に入ったものが気になって、空いた椅子……カシウスがいつも座る位置に置かれたシンプルな封筒に手を伸ばした。
「……あら? これってあのお兄さんから?」
 レンもロイドとはある意味、深い面識がある。きっかけを与えてくれた一人でもあるから。
 エステルとヨシュアが顔を上げ、レンの手元に目を奪われる。レンは、何気なく既に開封された封筒から便せんを取り出そうとしたら。
「だ、だめ!」
 制止の声に、レンの手が止まる。次に、やや目を見開きエステルの顔を凝視した。レンに向かって、というより普段からこんな形で声を荒げることは殆どないエステル。レンに向かっては、尚更だった。
 忙しく視線をヨシュアに移動させる。そこで奇妙な違和感を覚えた。ヨシュアもまた、レンと同じように当惑しているようだったからだ。更に言うと、一番驚いた顔をしているのが止めたエステルであること。気まずい空気が、テーブルの上に停滞した。チキンの湯気が、揺らぎながら天井へ向けて立ち昇るのが見える。
「あ……仕事のことだし、あんまり見せるのも」
「そうよね、部外者ですものね」
 すんなり答えてから、行動を再開させた。スープの鍋にはやはり豪快に刻まれたキャベツや人参がわずかに残っていた。音を立てず、さっさと移し入れて再び席についた。
 ヨシュアが窺うように二人の表情を目配せし、はぁと小さく息をつく。その様子を見て、ヨシュアは当然内容を知っているのだろうとレンはスプーンで一口、スープをすすりながら思った。
 エステルの言い分は当然ではあるのだが、普段がオープンすぎるので、あからさまに怪しい。
 エステルは「ごめんね」と小さくレンに言ってから、さっさと皿を片づけ立ち上がる。置き忘れていた手紙を取って、階段をかけ上ってしまった。
 食卓に残されたヨシュアとレンは顔を見合わせる。
「……レン」
「いいわよ言わなくて。お仕事のことなら、機密性は保持した方がいいでしょ? エステルはそこのところ、抜けすぎてるって前々から思ってたのよね」
すました表情のレンに、ヨシュアは困ったように苦笑を浮かべた。
「気を使わせるね」
「ヨシュアもね」
 本当は知りたいのだ。しかし、ヨシュアに聞くことは何となく悔しくて、レンはあえてそうしない。クイズを解いている最中に、頼まれもしないのに答えを見せられるような無粋だとレンは思う。仕事ならレンの実力は誰もが知っているし、戦闘を含む仕事も時には一緒にこなして手伝う。それが突然、エステルのこの反応である。
 エステルは、レンの過去と今をまとめて抱きしめようとした。では、レンは……。
 そこで改めて気づく。知らないことが、たくさんあるということを。


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