自室に戻って、まず化粧台に手紙を置く。
 そして、エステルは勢いよくベッドに倒れ込んだ。食べたばかりで少し腹が重く、一瞬息が詰まった。
 ゆっくり仰向きになり、天井を見つめる。生まれた時から慣れ親しんだ部屋が、今は居心地悪い。腕で視界を覆ってみる。目の前は真っ暗になったが、浮かんできた先ほどのヨシュアとレンの表情にエステルの心が深く沈む。
 二人とも驚いていたが、エステルも驚いたのだ。いつの間にかそうしていた、そして引っ込みが利かなくなっていた。助け船を出してくれたのは、レン当人であった。
「……はは、なさけな……」
 浮かんできた顔をかき消すように、目をキュッと閉じる。残ったのは不毛な暗闇だけだった。

 レンに疲れているだろうと声をかけ、ヨシュアは夕食の片づけを請け負った。エステルもまだ顔を出しにくいだろうと思ったからだ。
(明日になれば調子戻ってるといいんだけど)
 ヨシュアは三人分の皿を見つめた。
 エステルは基本的に楽観的で、明るくて、前向きで。それは彼女を知る誰もが認めるところであり、当人も自覚しているだろう。ヨシュアもそんなエステルの力強い輝きに救われた一人だ。
「救う、か」
 救う者がいるから、救われる者がいる。とても分かりやすい構図だ。
 先ほどのエステルを思い返す。エステルは、基本的に楽観的で前向きだけど、傍にいると不安になる時がある。エステルは気づいているのだろうか、とヨシュアは手際よく皿を並べながら思う。エステルの顔に浮かんだのは驚き以上に……あえて名をつけるなら、恐れかもしれない、それは。
 灯りを消して、ヨシュアは階段を上がる。自然と元に戻るかもしれない。しかし引っ掛かるものがあった。今を逃してはいけないという声が、胸の中で響いたのだ。
 エステルの部屋をノックした。いつものように、「エステル」と名を呼んでみたが、返事が無い。扉の向こうで起きている気配はあった。
「入るよ」
 一呼吸置いてから、ヨシュアはドアを開けた。部屋の中は暗いが、ベッドの上でエステルがうつ伏せているのはぼんやりとだが目視できた。
「エステル」
 ベッドに腰を掛け、ヨシュアは隣で俯いたままのエステルの肩にそっと触れると、微かに震えが伝わった。エステルは、声を殺している。ヨシュアは意識を集中して、気配を探った。レンの気配は近くには無い。
 声を小さくして、再度「エステル」と呼びかけた。ゆっくりエステルの髪に触れる。ツインテールをおろした髪はさらりと背を覆うように流れていた。
「……ねえ、ヨシュア」
「なんだい?」
 顔はうつ伏せのままで見えない。かつてヨシュアがエステルと離れ再び出逢った時、エステルはこう言った。
『見ないであげるから、そのまま泣いちゃうといいよ』
 それはエステルなりのヨシュアへの気遣いであり優しさだった。それ以前に、エステルがそういう生き方をしてきたのかもしれないと今さらながらヨシュアは思う。
「……驚いた?」
「うん、まぁね」
「あたしも、驚いた」
 エステルの言葉はその通りなのだろう。あの場にいた三人がそれぞれに違和感を覚えたのだ。
「何やってるんだろう……ロイド君にも連絡取らなきゃいけないことなのに」
「レンは、仕事の機密なんだから見せないのは当然だって言ってたよ」
 それがレンなりのフォローであることは、エステルにも解かるだろう。しかし言わないでいるよりはましだとヨシュアは判断した。
エステルはのそりと枕から顔を離し、隣に座るヨシュアを見上げた。ヨシュアの表情は依然静かで、穏やかだ。
「どうしよう、あたし」
「大丈夫だよ、焦らなくても。きっとロイド達もだからこそ手紙をくれたんだろうしね」
 都合良く解釈し過ぎかもしれないが、今はそう言っておく。エステルは小さく頷いた。眼元は特に濡れていない。もしかして泣いているのではないかとヨシュアは思ったのだが。立ち上がり、微笑んで毎日そうしているように「おやすみ」と声をかけた。暗闇の向こう、エステルも「おやすみ」と返す。ふわりと、空気と共にエステルが微笑む気配を感じた。ヨシュアはそのまま静かにドアを閉めた。
 明日は早い。ギルドで午前中に終わらせそうな仕事を引き受けて、昼頃に帰ってくるカシウスを迎える予定なのだ。
 明日のことは、明日にならないと分からない。人の心なら、それは尚更である。ヨシュアはため息を呑みこみ、自室に戻った。



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