「たっきゅう??」
 それぞれの表情で未知の言葉を口にしたセルボルト家の兄弟たちに、トウヤは「ああ」と説明する。
「温泉といえば卓球。それが真実だ」
「深崎君て、剣道部だったよね?」
 ナツミの疑問にトウヤは肩を竦めさせる。
「ああ、だけど温泉あがりに剣道をしようなんていうことは言わないだろう普通」
「温泉の中でトランプとか言い出したヤツはいたけどな」
 ソルがフッと鼻で笑うと、キールが眉間に谷を刻みギンッと睨み返す。両者の間に火花が散りそうになったところで、間にアヤが入る。
「でも、深崎君。卓球といっても、場所と道具が……」
「それが、あるんだよ。パンフレットを見たら卓球用具らしき写真が載っていたし、僕たちと同じ世界からの来訪者が伝えた可能性だってある」
「ていうか、パンフレットなんていつの間に手にしてたんだか」
 カシスは呆れながらも、未知の遊びに好奇心を抱いた。
「じゃあさ、皆でたっきゅうしようよ」
「あ、卓球は1対1か、2対2でやるスポーツ……球技なんです」
 アヤが慌てて捕捉すると、カシスは再び「ん?」と表情で訴えた。全く意味が分からない。
「なるほど、知っていることを伝える難しさ……か」
「納得してる場合かよ。俺たちにも分かるのか、それは?」
 うんうんと頷くトウヤにソルがジト目で睨むと、トウヤは「あはは」と笑ってかわした。そんなやり取りにカシスは少しだけ口を尖らせる。それぞれに築いた縁、関係が存在することは分かっているが、砕けたソルの態度はカシスに複雑な心境をもたらす。
 事態が停滞する前に、キールは開き直ったように笑った。
「まぁ、やってみれば何とかなるさ」
「キールさん、新堂君に影響受けてますよね」
「……そうかな?」
 くすくす笑いながら言うアヤ。照れを誤魔化すようにキールはぽりぽり頭を掻いた。


「う〜……ん?」
 目をパチッと開けてみれば、視界にクラレットの顔があって思考が停止した。ハヤトは思わず顔を勢いで上げそうになるのを何とか踏みとどまった。
「!!? えーっと……クラレット? 皆は?」
「皆さんは、温泉の伝統芸『たっきゅう』をしています」
「ああ、伝統……なるほど」
 ナツミ辺りが聞けば「何がナルホドなのよ」とツッコまれそうな呟きをしてから、ハヤトはゆっくり身体を起こして痛くなった節々をうんと伸ばした。そういえば、はたとハヤトは気づく。下はタオルを巻いたまま、上には浴衣をとりあえず着せているといった状態。そして、場所はおそらく温泉宿の中にある休憩室だった。
「えーっと……だ、誰がここまで俺を運んでくれたんだ?」
 冷や汗をかきながらハヤトは気になることを聞いてみる。
「私とキールで」「え」
 キールはともかくクラレットが、と背中にだらだら汗が流れようとしたところ。
「運ぼうとしたんですが無理で、トウヤが運ぼうかと言い出したのですがキールがそれはハヤトが後で傷つくとか、何か言っていて……」
「さすが相棒……!」
 グッとガッツポーズ。トウヤを嫌っている訳ではないが、貸しを作りたくない。同世代の、同じ高校生だったことが更にその気持ちに拍車をかける。……つまり、ちょっとした意地なのだ。
「結局、私が呼んだテテとキールのポワソが運びました」
「――ああ、そうなんだ……」
 運ばれる自分の姿を想像すると、一週間ほど布団に篭って叫びたくなる。そんな気持ちを必死に抑えつつ、ハヤトはふと気になった。
「クラレットはどうしたんだ?」
「――っ!」
「……?」
 みるみるクラレットの目が見開かれ、次にぎりりときつく射抜くものに変わった。
「わ、私がハヤトのことを気にかけるのは不思議なんですか?」
「あ、それは……そんなことない。ありがとう」
「い、いえ……私もむきになって、すみません……」
 肩が触れる距離で隣に座ったまま、会話が途切れた。こんな時に流暢な話題を持ち出せるほど、お互い器用ではないのだ。しばらく、息を殺すような沈黙が続いてからだった。
「そ、そうでした。ハヤトが倒れてから、起きたらこれを飲ませたらいいって言われていたんです」
 傍らに置いていたらしいそれは、ペットボトル3本。中にはそれぞれ1リットル程、水が入っていた。
「ああ、のぼせてぶっ倒れたんだもんな……」
 思い出すだけで床をごろごろしたくなるぐらい恥ずかしいが、皆に心配をかけたのは事実。大人しく用意してくれたことに感謝しようと思ったら。
「しっかり飲んだら元通りになるって聞きました。しっかり飲んでくださいね」
「……分かった」
 きっと、これらはクラレットが倒れている間にせっせと準備したものなのだろう。「多すぎ」というひと言を打ち消す真摯な気遣いを前にして、ハヤトは覚悟を決めた。クラレットの真剣さには、真剣に応えたくなるのだから仕方ない。


「深崎クン、キミ、そーいう性格だったんだ……ねぇ!?」
 ナツミの豪快なスマッシュの威力を相殺するようにラケットで受け止めてから、トウヤは打ち返す。
「橋本サンは、聞いたままの性格なようだけど……ね!!」
 まずは見本を見せるから、とナツミとトウヤが卓球を開始したのだが、両者譲らず。運動神経は2人とも良いらしく、馴染みが薄い卓球にも見事に対応している。アヤはルールを説明しながら点をつける係である。
「どっちもどっちだろ、あいつら」
「どっちも負けず嫌いだよねー……いい加減、あたしらもやりたいんだケド〜」
「大人気ないヤツらだ」とソルがぼやいた途端、目の前をひゅんとピンポンボールが通り過ぎていった。
「そこーーー聞こえてるよ?」
「深崎君、ホントいい性格してるよ」
「ほんと、どっちもどっち……」 カシスが呆れながら言った矢先、ピーッとアヤが試合を止める笛を鳴らした。
「はい、ナツミちゃんに1点」
 のんびり点数を書き換えるアヤに、カシスがぐったり項垂れた。
「そしてこっちはマイペースだし……」
「お互い様です」 ふわりとアヤは微笑んだ。


 ――流石に、無理があったようだ。
 ハヤトは1リットルで「ごめん」と降参してしまった。
「せっかく用意してくれたのに」
「あの、私たちもどのぐらい飲ませたらいいか分からなくて……」
「そっか、キールも……あははっ」
 クラレットの言葉に、慌てふためいたキールの姿が想像ついてハヤトは笑った。
「2人とも、なんだかんだで似てるよなぁ」
「姉弟ですから」
「うん、そうなんだけど……おっかしいなぁ」
 腹を抱えて笑い出すハヤトにクラレットはムッとした顔をしようとしたのだが失敗してしまった。いつの間にか、一緒に笑っていた。

「――まったく……」
 両方の腕に2本ずつ、ペットボトルを袋に入れて持ってきたというのに。聞こえてくる自分の話題がくすぐったくて、キールは疲れた腕に力を振り絞って扉の前から退散した。


 一方、卓球組は……。
「橋本、やるじゃないか」
「深崎君こそ……あーーーでもつっかれた!! きゅーけー」
 1セットずつ取り合ったところで休憩となった。温泉から出たばかりだというのに、2人とも汗だくである。
「2人とも、また温泉に入ってきますか?」
 タオルとお茶を渡しながらアヤが聞くと、ナツミが返事をする前にソルが「駄目だ」と答えた。頑なな声音に、皆の視線が一気に集中する。
「な、なんだ……?」
 居心地悪そうなソルに、トウヤはふっと笑顔を見せた。
「そうだな、僕と橋本で温泉に行くのは駄目だよね。ソルが紳士的発言をしてくれて僕も嬉しいよ」
「なっ!!?」
 爽やか笑顔なトウヤに、ぎゃーぎゃーソルがいきり立つ。
「……あの、流石に2人きりで行かせるつもりでは無かったんです……よ?」
 騒ぎを前にしてアヤが苦笑しつつ言っても、トウヤとソルには聞こえていないようだった。
「まったくどっちもオトコなんだからさー。じゃ、あたしはアヤと一緒にお風呂入るっ」
 横から抱きついてきたカシスの明るい茶色の髪を撫でて、アヤが「そうしましょうか」と頷く。
「ナツミちゃんも、一緒に……ナツミちゃん?」
「――あいつ、女の子扱いするのかしてないのかハッキリしないんだっての……」
「ナツミちゃん?」
「はいぃい!!?」
 肩に手を置かれナツミが飛び上がる。
「こっちはこっちでおかしくなってるし」
 やれやれ、とカシスは大きくため息をついた。なんでもない、とナツミはぎこちなく取り繕う。女性陣の小さな変化は気に留めず、言い争いの内容が全く違うものへと移り変わろうとしている最中にソルは不意に口論を中断した。くるりと方向を変えて、ソルがナツミの前に立つ。突然のソルの行動にドキッとして、ナツミは顔を上げる。
「あとお前……ナツミ、お前その格好で寛ぎすぎだ。慎め」
「……はーい」
 

 温泉宿の喧騒は、ハヤトとクラレットが戻るまで続いたそうな。
「若いっていいよねー」
 カシスにツッコミを入れる余裕は、ナツミとトウヤには残されていなかった。






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