旅の疲れは、眠りを普段よりずっと深くしていたようだ。
ゆったりと深海から浮上するように、意識が現実に向かっていく。
「――うー……」
薄く目を開くと、真正面にすやすやと眠る少女の顔がありハヤトは慌てて身体を起こした。
「!!?」
急に起き上がったせいで頭が少しふらつく。しかし、今はどうでもいいことだ。改めて自分の身体を確認するまでもなく素っ裸で、隣で眠る少女……クラレットも胸元までかけ布団で隠れているが同じようだ。
「えーと、えーと……」
必死になって状況を把握しようとすると、ますます頭が真っ白になる。ハヤトは自分の頬を軽くたたいてから深呼吸をした。
「――そうだった……」
驚くことではない。昨夜、ハヤトとクラレットは同じ部屋に泊まり、お互い望んで共に過ごしたのだ。さらに深く触れあうために。危うく混乱したまま変なことを口走って彼女を傷つけるところだった。
落ち着いてから、肩が冷たくなっていることに気づき再びハヤトは横になりクラレットを起こさないよう注意して布団を被る。
そして、改めてハヤトは目の前で眠るクラレットを見つめた。シーツに束となって広がる黒髪は、カーテンの隙間から零れる光を受けると神秘的な紫色に染まる。白い肌は思わず触れたくなるほど滑らかで、薄い桃色の唇がよく映えた。
(いや……思いっきり触れたんだケド、さ)
いいよな、と心の中で誰に問うまでもなくハヤトはそっとクラレットの頬に触れた。深夜まで本を読んでいることが多いクラレットは、普段からあまり血色がいいとは言えない少女だった。時折、ぞっとするほど無機質さを感じさせるが、いざ口を開けば、目を合わせればクラレットが生きた人間だと実感する。
それは、とても当たり前なのだがハヤトには重要なことだった。
「良かった……あったかい」
「よかった……」
「!」
そこで、クラレットがそっと目を開く。反射的に引っ込めそうになったハヤトの手に、自分の手を重ねながら。
「……いつから起きてた?」
「ハヤトが挙動不審になっているところからです」
「うっ!?」
それはすごく恥ずかしい。ハヤトは思わず赤面した。しかし、クラレットがあまりにも穏やかに微笑んでいるので自然と治まった。
「――クラレット?」
「人形……みたいでしょう?」
「え……」
クラレットの真意が分からず、ハヤトは見つめ返すことで問いただす。
「ずっと、言われてきたことです。クラレットは人形のようだ。いや、人形なんだ」
「!」
「人形で……いいんだ」
「そんなこと!」
カッとなって身体を起こした拍子に布団がめくれ、互いの上半身が外気に晒される。昨夜、我がもの顔で堪能した形の良い乳房が露になり慌ててハヤトは布団を二人の身体にかけ直した。クラレットは少し恥ずかしそうに胸元を隠す。
「そんなこと……ないだろ? 少なくとも今、俺の前にいるクラレットのどこが人形なんだよ」
出逢った頃は、ハヤトもそう思ったことが何度かあった。それは、感情の乏しさから来るものだと思っていた。次第にそれが違うんだとハヤトは理解したのだ。彼女は知らないだけなのだ、と。
「そうですか……?」
断言するハヤトに聞き返すクラレット。「そうだよ」とハヤトが更に断言する。いつもなら出来ないことが、今しか言えないことだからとハヤトを動かした。腕を伸ばし、クラレットの背にまわす。掌に伝う温度はしっかり、あたたかい。
やや強引に引き寄せ、ぎゅうとクラレットの体躯を抱きしめる。これでどうだ、と言わんばかりに。
「ほら、今すんごいドキドキしてるのが分かる。人形じゃそうならないだろ?」
「―分かりました……」
勝ち誇ったように言うハヤトの幼さと行動の大胆さに戸惑いとそれ以上の喜びを覚えながら、クラレットは頷く。ハヤトが言った通り、触れた肌と肌が脈打っているのを感じた。白い肌がハヤトの熱を帯びて染まる。
「ハヤトが触れてくれたから、私は人形じゃなくなったんですね……」
「大袈裟だよ」
くす、と笑うハヤトの首元に顔を埋め、クラレットは祈るように囁く。
「従うままだった私はあなたに出会って人間になれました。待つだけの私をあなたの力強い手が違う場所へ、私を引っ張ってくれました」
触れあう肌が熱い……。そう、そこには確かに血が通っていて、クラレットを生きる人間に変えていくのだ。人形の腕に血が通い、熱が心に火を燈す。
「今の私は……待つだけの人形じゃない……」
クラレットが顔を上げると、ハヤトの瞳とかち合う。つい先ほどまで挙動不審だった少年とは思えないような、慈しむ眼差し。クラレットの血と、妄執で編み出された鎖をどこまでも柔らかな力で解いてくれた人。
クラレットは目を閉じゆっくり唇を寄せると、重ねられる感触が伝わった。時々失敗するキスは少しぎこちない。その拙ささえ、愛しく思える。まだまだ幼い、二人で手作りしていく関係そのもののようで。
啄ばみあうようにキスを何度か繰り返し、お互い見合わせ笑いあう。
「心の底から思います。滅ぼさなくてよかった……この世界を」
「うん……?」
命を吹き込まれると、取りまく世界さえ輝きに満ちることをクラレットは知った。
「全部、あなたのおかげ……それだけです」
はにかんで言うクラレットの表情は眩しい。照れる、という感情はハヤトと出逢った当初のクラレットが見せなかったものだ。対するハヤトは困ったように笑う。これは昔からよくする表情だったが、今はいつもより大人びた印象を与える。
「大袈裟だなぁ」
くすくす笑うハヤトに不服だと訴えるように、クラレットがハヤトの前髪の束をちょんと引っ張る。ハヤトの髪は黒みがかった茶色で、陽の光に透かせると金色に光るのがクラレットのお気に入りだった。
「クラレットを好きになった、それだけだよ」
前髪に触れていた指の力がくたりと抜けた。
「顔、真っ赤だ、クラレット」
「そういうあなたもですっ」
ムードの欠片も無い中、二人で抱きしめあう。

出逢えたことが奇蹟なのか。想い合えたことが奇蹟なのか。
それとも、今は交わされるもの全てが?
まるで暗く永い夜が明けるように、それは……。




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