キールとて、その声を聴いたことがある。それは、ハヤトが誓約者として選ばれた存在だと判明した時のこと。
たしかに伝説上の存在……概念であったエルゴは、ハヤトに語りかけていた。以前はリィンバウムとは全く違う世界から来た、はぐれ召喚獣のようなものだったと笑って話していたハヤトは、エルゴの呼び声を自然と受け入れ、試練を果たした。
彼は、二代目の誓約者……エルゴの王となったのだ。


サイジェントのフラットは、今やハヤトを中心としたリィンバウムを守護する勇者の拠点と化していた。エルゴの守護者たちは、役目を果たすために旅に出ては戻り、ハヤトに情報を送る。状況に応じてハヤト自身も遠征して、リィンバウムを脅かす問題を排除する。もちろん、キールもそれに同行した。
「次の遠征は帝国か。遠いなぁ」
「資金もかさばるしね」
地図を広げていたハヤトがキールの現実的なひと言でグッとつまる。勇者だエルゴの王だといわれても、実際のハヤトはサイジェントで細々とアルバイトをして生活費にあてる少年でしかない。それは、キールも同様である。
「でも……行かなきゃいけない」
すぐに気を取り直し、真っ直ぐハヤトは遠くを見つめる。仲間たちが頼もしいと感じるであろう、凛々しい眼差しはキールをすり抜けていく。
(ああ、まただ)

『悠久へと響き渡るこの声を聞け』
召喚の詠唱など気に留めもしなかったハヤトが、いつの間にか口ずさんでいた言葉。
「詠唱はよく分からないんじゃなかったのかい?」
「いや……なんとなく。いつの間にか言葉が浮かんで……エルゴが、伝えてくれたのかもしれない」
自分でも不思議そうに首を傾げながらも、力を行使する時のハヤトには迷いが無い。まるで確信があるように……。


「――行かなきゃ、いけないのかい?」
「ああ。放っておくとリィンバウムに災厄がもたらされるだろうし」
「――行かなきゃ、いけないのかい? ……君が、エルゴの王だから?」
ハヤトがはっと顔を上げる。キールは静かな光をたたえた瞳をハヤトに向けていた。
「いや……俺が、行きたいからだよ」
「じゃあ、僕も行くよ」
ふわりと破顔したハヤトを見て、キールの胸に安堵が生まれる。何をしてるんだか、という自嘲と共に。
「ありがとう」
ハヤトの気質の通り、直球で届く言葉はキールに染み渡る。それこそが、大切なのに。
(まだ、僕は……諦められない)


どちらもハヤトなのは分かっている。ハヤトの意思であることも。しかし、時に射抜き、そして危なっかしくもある少年の奔放さや爛漫さを、責任という名の義務が阻害することはキールにとって望ましくない。否、邪魔だった。
キール・セルボルトの罪は、ハヤトの力になることによって免除された。キールもまた、世界から義務を背負うことになった訳だ……。
しかし、キールにとってそれは望むところであった。エルゴの王の傍らに立つ以上に、たった一人の少年を支えるため。世界の意思と疎通を取るなんて芸当をキールは持ち得ない。だからこそ……。
(僕は、世界に囚われそうな君を、諦めない)


「疲れてないかい?」
「疲れたら肩かしてくれよ?」
困ったように笑う少年が消えてしまわないように。それが、キールのささやかな……大それた、願い。かつて、世界を壊してしまうという恐怖と、消えゆく運命を嘆き助けを求めた声をハヤトが捉えてくれたように、キールも放さない。
「意地張らなくていいよ」
「じゃあ、ちょっと疲れた……」
少し、重荷をことんと預けてくれたらいい。それでも世界の意志が語りかけてくるのなら、マントで覆い隠してしまえ。キールが守りたいのは、すぽんと包まれた少年ただ独り。
「キール、俺、疲れてたみたいだ」
目を閉じ、キールの鼓動にだけ耳を傾けて、ハヤトは笑った。まるで外界から遮断されたようだ。それなのに、ここはなんて心地いい。
「休んでいいんだよ」
「忘れてた。そうだった……そう、だよな」
休んで、いいんだ。


――それでも世界は、回り続けるのだから……。




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