「キミは馬鹿か!」
前置きはなく、理不尽。突然降りかかったお馴染みの台詞に、ネスティは怪訝そうな顔をした。
「何をしている……君は」
そこでトリスの目元にある自分の眼鏡があることに初めて気づいた。どうにも落ち着かない。
「ん〜〜? ネスの真似。似てた? 似てた?」
「似てない。それに僕は理由もなくそう言っているんじゃない。君が言わせてるんだ」
はぁ……と大袈裟にため息をついて、ネスティは手を伸ばし眼鏡を奪おうとするが、ひょいと後ろにかわされた。トリスは元より身のこなしが軽い。
「でもさ、今日はわたしの番だと思うな。ネス、うたた寝してたよ? しかも、わたしじゃなくてネスの試験なんだし」
「――う……悪かった」
生真面目に詫びてから、ネスティは自分がいつの間にか机に突っ伏して寝ていたことを恥じた。しかも、それをトリスに見られるとは何たる不覚。蒼の派閥内の昇級試験が目前に控えており、最近は徹夜で勉強に勤しんでいるのであった。傀儡戦争を乗り越えた今となっては実技に関しては問題ない。筆記も問題ないだろう、とトリスは思うのだがネスティ曰く「油断できない」らしい。
「悪かったから、それを返してくれないか」
「君は馬鹿か! 休む時に休む、動く時に動く。計画性が無いからそんな顔で日中フラフラすることになるんだっ」
眼鏡をくいっと指先で押し上げて、トリスは胸をはって言うと、ネスティは再びため息を漏らした。
「……トリス、一体何がしたいんだ? 分かったからそれを返してくれないと」
そこで、また一つ気づく。足元に落ちた毛布の存在に。ネスティは視線をトリスに戻す。トリスは相変わらず眼鏡をくいっとわざとらしく光らせてネスティを見つめている。レンズの奥にある瞳は、何よりも素直に物語った。
「――いや、その……少し休憩を入れることにする」
ぱっと笑顔になるトリスを見て、ネスティは小さく吐息した。
(分かりにくいぞ……いや、僕がいっぱいいっぱいになっていただけか)

トリスに強く言われ、結局ネスティはベッドに押しやられた。
「ちゃんと一時間したら起こすから、ネスはしっかり仮眠を取ること」
「……なぁ、なんだか楽しんでないか?」
横たわると疲れと睡魔が一気に押し寄せて、ネスティはあくびを堪えた。トリスはふふっと笑う。
「最初の頃は、ネスってわたしのこと嫌いだからしつこく勉強させるんだって思ってたんだけど、違うんだね」
「…………今、ものすごく不本意なことを聞かされた気がするんだが」
そう思われても仕方ないところもあったかもしれないが、と思わず以前の我が身を振り返る。
「ともかく、ネスのこと分かってるようで分からないことがいっぱいあったって話! めでたしめでたし」
「勝手に自己完結するな」
トリスの言葉に苦笑しつつ、その声は柔らかい。
「で、わたしもその分いっぱいお返ししようと思って。勘違いしてネスのこと恨んだ分も含めて、いっぱい今日は面倒見ちゃうからね?」
「――勘違いして恨んでた分、か」
人のことは言えないか、とやっぱり苦笑するしかない。トリスの言う「めでたし」に辿りつくまでに、どれだけ過酷な日々が続いたことか。だからこそ、その延長線上にある今に感謝している訳だが。
「そういうことで、ネス? 安心して寝ていいからね?」
ベッドの横まで椅子を引っ張り、トリスはすとんと座った。それでも妙に落ち着かなくて、飲み物でも持ってこようと立ち上がると、不意に手首を掴まれた。
「君も寝ないか?」
「〜〜〜っ」
ベッドから伸ばされたネスティのトリスより白い手は、見た目に反して熱い。トリスは慌てて腕を引っ込め、こほんと咳払いをした。
「――きみは……馬鹿か………?」
動揺を隠せない声音に、ネスティは声を抑えて笑う。
「少しは僕の気持ち、分かっただろう?」

『君が、僕をそうさせる』



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