決して心地よくない浮遊感が消え、ゆっくり目を開けば眼前には荒野が広がっていた。そこは、初めてリィンバウムで見た光景。あの時は人が倒れていたり見たことも無い場所に突然やって来てしまい、恐怖しかなかった。でも、今回は違う。ナツミは自らの意思でリィンバウムに戻ったのだ。
「――そんなに強く握られると、ちょっと痛いよソル?」
「……あ、ああ……すまない」
隣に立つソルが、慌てて握り締めた手の力を緩める。しかし、放そうとはしない。それがナツミにはとても嬉しい。
リィンバウムで生きていく為、元の世界に一度戻り家族に会い、学校の親しい友人に挨拶をし……また、帰ってきた。名も無き世界への危険な渡航はソルが舵取りを担った。
「俺以外に誰がやるんだ」
そう言って自ら引き受けてくれたのだ。


「帰ってきたねー、わたし達のリィンバウムに」
ナツミはおもいきり深呼吸してみる。元の世界と明らかに異質な空気。今ではどちらも大切な故郷に違いないのだ。両親には申し訳なさを抱き続けることになるかもしれないが、後悔していない。
「……ソル? どうしたの」
黙り込んだままのパートナーの顔をひょいと窺うと、ソルは片手で顔を覆わせ隠した。微かに耳が赤くなっていることに気づき、ナツミは「はて?」と訝しむ。
「ねぇ、どうしちゃったのよ……」
「俺は最低だ。信じてるようで信じてなかったのが、情けない……」
ゆっくり手を放し、ソルは俯く。痛そうなほど拳を強く握りながら。
「どういう……?」
「ナツミが元の世界に残ると言ったら、無理やりでもリィンバウムに連れ帰ってやるって……そう思ってた……俺」
まだ顔を片方の腕で隠したままのソルは自嘲気味に答えた。一緒に行くと決めた時、名も無き世界にたどり着くかどうかより、そちらの方が不安だった。もしかして、リィンバウムでも名も無き世界とも違う、もっと新しい……二人を受け入れてくれる世界に行ける事を願っていたのかもしれない。
「お前の家族や友人がどれほどお前のことを大切にしてるかって、目の当たりにしたのに俺は、そんなことを考えてたんだ……」
ゆっくり腕をおろし、ソルはそっと微笑む。哀しさ、そして自分に対する恥ずかしさをそのまま隠さずに。ナツミはまじまじソルの顔を注視してから、ふっと吐き出すように笑った。
「うん、酷い話だよね。わたしはちゃんと選んだよ。コッチで暮らすって。だから、ソルと一緒に行ってもらったんだよ?」
「……?」
「わたしが絶対信じてる人はちゃんといるから大丈夫って、伝えたかったの。お父さんとお母さんに。だから安心してって……ちゃんと言えて、こうして笑顔で戻れたんだよ?」
「……」
「だから、ソル。泣かないで……ね?」
ソルの頬に手を添えて、ナツミは丁寧に涙を拭った。男の子が泣くところを……ソルが泣く姿を初めて見た驚きよりも、そこまで切迫していた彼に気づけなかったことが悔しい。ソルの涙は、とても静かに流れていく。それはナツミの為に生まれたものだから、尚更胸が詰まる。荒野を吹く風が砂塵と共に二人の間を通り抜けた。向こう側と、こちら側。見えないドアのように二人の温度を分け隔てていく。
ソルの言葉にナツミの目頭もじわっと熱くなったが、それを必死にこらえてナツミはしっかりソルを見つめた。今、同じようにナツミも泣くわけにはいかない。気持ちを共有することは素敵だけれど、違う気持ちで傷ついた心を引っ張り上げることだって素敵だとナツミは知っているのだから。
「俺……やっぱり、性根から腐ってるな……恥ずかしいトコ見せた……」
ナツミの手をさり気なく放しながら、ソルは苦笑した。
「じゃあさ!」
場の空気を変えるように、努めて明るくナツミは声を上げた。
「わたしのお母さん達が大切にしてくれてた以上に、わたしを大切にしてくれたらモーマンタイってことで、どうかな!?」
言ってから自分で恥ずかしくなって、今度はナツミの顔がカァッと赤く染まる。その変わりようを見てソルはプッと噴出してしまった。
「こっちで生きると選んだこと……絶対、後悔なんてさせない」
ソルはナツミの肩を抱き、首元に顔を押し付けた。先ほどは自分が見られたくない顔を隠したのだから、これでおあいこだ。最初は慌ててジタバタしていたナツミの体の力が抜け、ふわりとソルの方へ重みが寄せられる。ソルにとっては自分の命や生きてきた時間全て、捧げてもいいと思える重みと、温度。
「こんな気持ちを俺だって持てるんだって……やっと気づいたんだ」
「じゃあさ、……ずうっと手放さないでね……?」
照れ隠しで口に出したはずの言葉は、乾いた風の中でじわりと震えた。






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