それがどういうことなのか、事実は理解していたつもりだ。所詮、異界から来た存在。リィンバウムにとって異物のような命の連なりでしかない。
告げられた時、哀しみは湧かなかった。ネスティはやっと訪れるかもしれない『本当の終わり』に安堵したのだった……。


「かわいい赤ちゃんだったねー! ふっかふかだった〜」
買い物の帰りに見かけた、母親に抱っこされた赤ん坊の話題をにこにこするトリス。ずっと忘れていたことを思い出したのはトリスのこんな些細なひと言がきっかけだった。
傀儡戦争の後、アメルが仲間たちの元に帰ってきてからも、定期的に二人はリィンバウムを浄化し続ける大樹に足を運んでいた。ずっと使っていた小屋は今もそのまま残してある。いつかまた、この大樹の存在がリィンバウムにとって必要になるかもしれない……そんな漠然とした思いがあった。
今日も、大樹や周辺の様子を見に二人で小屋に向かっているところだ。護衛獣であるバルレルはミモザに「空気読みましょうね〜」と言い包められ留守番である。それよりもギブソンとパッフェルのスイーツ攻勢の方が効果的だったようであるが、当人は頑なに甘党だとは認めていない。
「ね、あのお母さんもすっごく優しそうな笑顔だったね。幸せそうで見てるこっちも嬉しくなっちゃうわね」
「……あ、ああ。そうだったな……」
森の中を二人で並んで歩きながら、ネスティの微妙な間に違和感を覚え「ネス?」とトリスは顔を覗きこむ。ネスティは何とも言いがたい……複雑な表情を浮かべていた。苦悩でも哀しみでもない、あまり見かけない表情にトリスは首を傾げる。
「ねぇ、どうしちゃったの?」
「――なんでもない。本当になんでもないんだ……」
「そう言うってことは、何かあるんだ?」
むうっと睨むように見上げられ、ネスティは視線から逃れようと見上げる。晴れ渡る空は木々に隠され気分を和ませる役目を果たさなかった。
「――君は……家族というものに、憧れを抱いてるのか?」
「へ……?」
ネスティの言葉にきょとんとしてから、トリスは「うーん」と腕を組んで唸った。
「ミニスを見てると、ああ仲がいいんだな〜って思って和んだりするし、ケイナとカイナさんみたいな姉妹関係も羨ましいなって思うけど……」
そういえば、とネスティは思い出す。ネスティもトリスのことをクレスメント家の血筋と知っているだけで、実際の家族については殆ど知らないのだ。お互い、そういった話題をしてこなかったからだ。何より家族話をするような心の余裕が無かったのが原因かもしれない。
「君の……ご家族のことを聞いてもいい、かい……?」
「あはは、そんな慎重に聞かなくてもいいって。そりゃーもう貧しかったけどね。小さい頃に死んじゃって記憶も薄れてきちゃったし……」
殊更明るく、トリスが笑い飛ばすように答えた。聞くべきではなかったかという思いと、今まで知らなかったトリスの過去に触れられたこと。その両方がネスティの心境を複雑にした。
「……ネスのことも、聞いていい? さっき変な顔してたのと関係あるんでしょ?」
ネスティの前で立ち止まり、トリスは真っ直ぐ見つめた。
「……僕は……僕たちは一族の記憶を代々継承しているから……親という概念が薄いんだ。今ではどれが直接の親の代の記憶すら選別することが難しくさえある。気がつけば独りになっていた程度に……ライルの一族にとって家系は血筋以上に、記憶の保管なんだ」
「なんだか難しそうな話ね……?」
ネスティの言葉を選びながらの説明も、トリスにかかれば一言で済む。そのシンプルさに、何度もネスティは救われてきた。
「――それも、もう終わりだ……」
「ん?」
薄く自嘲っぽくネスティは笑みを浮かべた。
「リィンバウムに生きる命として不適合ということだ。リィンバウムにやって来てから積み重ねてきたライル族は力を失い、無理やり命を引き伸ばしてきたんだ。だから……」
トリスはじっと視線を外さず言葉を待つ。
「だから……もし……君が、自分の家族というものに、憧れを抱いているなら……僕は、それに応えられない欠陥ひ」
言い終わる前に平手が飛んできた。ヒリヒリする頬を思わずネスティは押さえる。しかし、すぐその手には先ほど引っ叩いてきたトリスの手が重ねられた。
「誰が欠陥ですって? 勝手にそうやって決め付けるの止めてよネス」
「……ライルの一族は僕で終わるという事実は変わらない。この滅びゆく運命に君まで……巻き込んでしまうことを、僕は……」
苦しげに歪むネスティの顔を手のひらで挟み、トリスは力強く言い切る。
「滅びじゃないよ!」
「トリス……」
「ねぇ、今まで何を見てきたの? アメル達を見てよ……血の繋がりは何もなくてもあんな素敵な家族じゃない。それに、ラウル師範はネスの家族でしょ?」
「それは……確かにその通りだ。しかし、僕には受け継がせることが出来るものが何ひとつ無いんだっ!」
ラウルはそれを知っていてネスティを養子にした。そのことにネスティは深い感謝と罪悪感をずっと抱いている。だから、立派な召喚師であろうと決意したのだ。トリスに対しては何も望まないと自分に言い聞かせてきた。しかしトリス自身に願いがあるなら話は別だ。
「……違う……君に、何も残せない自分がみっともないんだ……惨めなんだ……っ」
ゆっくり、身体が傾きネスティは地面に膝をつけた。
「個の生命として、歪んだ道を歩んできた罰の一つだ。君を抱きしめても、そこから何も生み出すことが出来ない。そんな不毛な道に、君まで付き合わせていいのかと」
「ねぇ、わたしには生命の進化とか歴史とか……散々聞いた罰だって、どうでもいいよ。今、目の前にいるネスが好きなだけ。こうやって抱きしめることも、ネスは無意味だって言うの?」
トリスはぎゅうとネスの頭を胸元に押さえつけるように抱きしめた。
「……あたたかい、な」
「じゃあ、それが意味でいいよ……わたしには」
ゆっくり顔を離し、お互いの顔を見合わせる。喜びや淋しさ、全てが入り混じったような泣き笑いのような顔だった。再び二人の距離が近づき、啄ばむような口づけを交わすとトリスは微笑んだ。
「今、幸せって感じたよ。それで十分……わたしもネスも、独りじゃないってことでしょ?」
たとえ、刹那的であったとしても……。――ネスティはそうだな、と静かに答えた。


翌日、二人はまたひとつの買い物をしに町に出た。それは、小さな小さな苗木だ。立派な木に成長したら、春になれば柔らかい桃色の花を咲かせるという説明を受けて、トリスが気に入ったのだった。小屋の近くにあるスペースに、二人で丁寧に植えた。大樹にとっても、兄弟みたいな存在になれば……そんな願いと共に。
「わたし達が死んだ後だって、この大樹はずーっとリィンバウムを見守るんだと思うの。ずーっとリィンバウムの為に、ここで生き続けるんだよ。自己満足かもしれないけどさ、わたし達でも残せるものはあると思うんだよね」
「君は、スケールが大きいな」
昨日話したことが小さく思える、とネスティは苦笑してしまった。
「違うよ。わたしは独りの怖さを知ってるもの……でも、ネスがいてくれるから淋しくなくなった。独りじゃ……誰かを想うことなんてわたしにはムリだから」
「そうだな……僕も……同じだ」

受け継がせるものは無くても、たった一人へ注がれる想いは生きている限り続くだろう。


「この木が花を咲かせる姿を僕たちがもし見れなくても……誰かが、見るかもしれない。誰かが、今の僕たちと同じように思うかもしれないんだな……」


『ああ、幸せだ』
ほんのひと時でも、此処に二人の想いが息づけばどんなに素晴らしいことだろう。





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