広間でスプーンやフォークが皿にぶつかる音が賑わう。夕食はリプレお手製のパンと、肉団子と野菜のスープ。安売りしていたフルーツの盛り合わせが食卓を色を添えていた。
「……ナツミはどうしたんだ? いつもなら真っ先に来るだろうに」
エドスは不在の人物について当然のように言及すると、リプレは「ちょっと体調が悪いみたいで……後で温めて部屋に持って行くわ」と答えた。ソルは無言のままスープをすすっている。
「……まぁ、いいケドな」
微妙に違和感を覚え、肩眉をやや歪めさせるだけでガゼルも食事に専念する。
「おねえちゃん、お体の調子わるいの……?」
ラミが不安そうに呟く。大丈夫よ、とリプレが安心させるように声をかけると俯きながら「うん……」と小さく返事した。黙々と食事を続けているソルを流石におかしいと思い、フィズは「ねー、ソルは何も知らないの?」と肉団子をフォークに刺しながら聞くと、ソルは何も言わず椅子から立ち上がる。
「……ちょ、ソル??」
「……美味かった。ごちそうさま」
ごちそうさま、という言葉を自然に言うようになってしばらく経った。リプレは内心苦笑しつつ広間から出て行くソルを見送った。
「おい、どうなってるんだ?」
「……大丈夫、元気になるわよ」
質問の内容とはズレがあるものの、皆を安心させるには十分だった。


ナツミは部屋のベッドでずっと横たわっていた。不思議なくらいお腹が空かない。美味しそうな匂いは微かに漂ってくるのに、それでも頭を支配するのは別のことだった。
改めて自分に起きたことをナツミは振り返る。シャワーをいつもの倍ぐらいの時間をかけて浴びても、スッキリすることは無かった。
『夏美って、恋愛とか興味なさそうだよね』
ふと、そう昔でもないのに遠くから同級生に言われた言葉が脳裏で再生された。
『部活一筋だもん! そんな余裕ないないっ!』
確か、そんな風に言ったように思う。それもまた、遥か遠くの記憶のように色あせている。
『彼氏とデートしたりとか、興味ないの?』
『もっと可愛い服買いに行こうよ〜。新作グッズも発売してるって!』
そうやって、何度も声をかけられる度にやんわり理由をつけては断ってきた。本当に興味が無かった訳では無い……と、ナツミは思う。部活をしている方が夢中になれたことは本当だったが。そして、いつの間にかナツミにそんな誘いは来なくなった。カラオケやゲームセンターで騒いだりはある。それとは別の、女子同士や異性繋がりの臭いがするもの。
『ナツミは本当に元気なんだから』
『そっちのことはまだまだ興味ないもんね、夏美は』
定型文のように、ナツミは言うのだ。
『うん。あたしは皆で楽しいほうが好きだな〜!』

――ごろんと寝返りをうつ。それすら、なんだか気だるい。
(嘘じゃないんだけど……)
友人たちに嘘はついていない。本音で断っていたはずだ。それに加え、煩わしさや……もっと別のものがナツミを頑なにさせていた。男子が体育館で無邪気にバスケをしたり、昼食を賭けてジャンケンしたり、自然に行われる他愛のないじゃれ合い。何故、あんな風でいられないのか。少しずつ変わって行く周囲の空気や繋がりはナツミを置いていった。その中に確かにいた筈なのに、どうしてか飛び込めなかった。可愛い服も、胸躍るようなアクセサリーも、嫌いじゃない。むしろ、目の前にあればナツミだって手を伸ばすだろう。だけど、実際には出来なかったのは……。
「こわいんだな、あたしは」
薄暗い部屋に、ぽつんと声が沈む。一緒に頑張ろうと張り切っていた一人の友人を思い出す。ある日突然、部活を早く帰って彼氏とデートに出かけていった同級生を。軽い関係だなとボールを胸に抱きながら思った、夕方の体育館での出来事。次の日、彼氏と選んだというペンダントを見せて浮かれている姿を見て、また「軽い関係だな」と脳裏で思った。それは、誰に対する気持ちなのか……。
「ただ選んだだけなのにね。ああ、そっか……」
枕に顔を押し付けながら、ナツミは苦々しく笑った。
リィンバウムに来てから良くも悪くも、ナツミの環境は変化した。泣いて、笑って、必死に戦って……形振り構わず叫んで、足掻いて。
「……変わりたいよ、わたしだって……」
ゆっくり顔を上げ、ナツミは擦れた声で囁いた。かつての……そして、これからの自分に向かって。


机の上には既に読んだ本しか無かった。再読するような内容でもなく、ソルはため息をついてから机を離れた。ベッドに座り、ゆっくり後ろに倒れこむ。視界に灯りで照らされた天井が広がる。それを、ぼんやりソルは眺めた。時刻は既に深夜。ナツミは部屋から出てこなかったし、リプレが声をかけても食事を断ったらしい。ナツミにとってはかなり重症だ、とガゼルが言っていたのをチラリと思い出す。その原因が自分にあることは重々承知しているが、反省する気にはなれなかった。しかし、明日も明後日もこんな現状が続くとなると気が滅入ってくる。「くそ……」とむしゃくしゃして頭を掻いていると。
「――ソル」
ドアの向こう側から遠慮がちな声が届いた。
「ナツミ……?」
ベッドから下りて、ソルは確かめるようにドアを開くとニコリとナツミが……少しぎこちなく微笑んだ。あまり見慣れない寝巻き姿であることがソルに躊躇を与えるが、促すとナツミはぺたぺたと裸足で部屋に入った。そして、緊張した面持ちでいつものように椅子に座る。ソルは向かい合うようにベッドに座りなおした。
「――ナツミ、俺は謝らないからな」
きっぱり言い切ったソルに、ナツミは困ったように微笑んだ。
「謝ってほしくも無いよ……。その、謝るのはあたしの方だし……」
語尾がごにょりと小さくなる。真っ直ぐ向けられるソルの視線に耐えられず、ナツミは顔の角度を落として話し出した。
「あの、ね。突然、大声でわめいて、ごめんなさい……」
「あの後、リプレに叱られたよ。女の方が怖かったり覚悟がいるんだって。……俺も、急すぎた」
そんなことを話していたのか、と内心ナツミはほっとした。あんな場面を見られてしまったのだ、ソルが誤解を受けて責められていないかと不安もあったのだ。
「あの、ね……!? うん、怖かったし、驚いた」
「――そうか…………すまな」
「謝らないって言ったのに」
ナツミがソルの言葉を先回りして封じる。ソルには、ナツミの穏やかさや静かさの方が落ち着かなかった。深夜なので自然と二人とも小声ではあるが、ナツミの方は雰囲気もどこか違う。
「だけど、その……嫌じゃなかったんだよ、あたしっ。むしろ、ソルがあたしをちゃんと見てくれてるんだって……嬉しかった、よ……?」
ひとつ、ひとつ言葉を探すように。
「あのね、ソルは初めてあたしを、女の子として見てくれたの」
「――ナツミは最初から女だろう」
不思議そうに言うソルに、ナツミは「そうじゃないよ」と頭を振る。ナツミ自身、上手く説明することが出来ずもどかしいのだ。
「あたしも初めて、ソルのこと男の子だって見ることが出来たの。今まで、いっぱい人に会ったし友達も出来たけど……こんながむしゃらじゃなきゃ生きていけない所に来て、やっと解った気がするよ」
「…………何を、だ?」
「あたしね……これでも、結構臆病なんだ。いつもと違う自分とか、見られるのが極端に怖くて……。いつも元気でいたいからそうする。笑っていたいから笑う。そういうのが強さだって思ってたし、あたしらしいって思ってたんだけどね……」
実際、それはナツミらしい姿だとソルも思う。しかし、言葉とは裏腹にナツミの表情はどんどん翳っていく。
「何でだろう、いつも元気でいなきゃ、いつも笑っていなきゃって……なっていって……ナツミは、友達と遊んだり走り回るのが一番好きで、男の子には興味なくて」
「――興味ないのか?」
「ううん……ソルのこと、もっと知りたい」
即座に聞いてきたソルにナツミはやっと笑った。
「興味ないのがあたしなんだって……思いこんでただけ。あたしは、ソルのこと」
ソルが立ち上がり、無造作にナツミを抱きしめる。
「よく……分からないが、俺はお前のことが好きで、お前も俺のことを好き、でいいんだな?」
直接確認するソルに、ナツミは肩を揺らして笑いながら抱きしめ返す。無粋なことこの上ないが、それはナツミが知る『ソルらしさ』だろう。「合ってるよ」と穏やかに眼を閉じながら。
「あのね、笑わないでね。怖いし、――本当に怖いし……だから身体も震えるし思わず悲鳴とか上げちゃうけど、スッゴクかっこ悪いけどね……あたしも一生懸命だからそうなるんだ」
ゆっくり、ソルと自分に言い聞かせる。
「必死だったりムチャクチャで、いつものあたしみたいじゃなくなっても、ソルはあたしのこと」
顎をくいと持ち上げられ、最後まで言う前に口を塞がれた。雑なようで優しい顎から頬に添えられた掌は繊細だ。ゆっくり触れた唇が離れ、目と鼻の距離で視線が交わされる。二度、三度と繰り返し啄ばむ感触に胸の奥が痺れる。
「それがナツミなら俺にはどうでもいい」
「どうでもいいって……あたしより大雑把だよ……?」
照れ笑いをする暇もなく、再び距離を詰められナツミは眼を閉じる。夕方の出来事を思い出させる、熱っぽい口づけだった。呼吸が苦しくなりソルの背中をぽんぽんと叩いて訴えるが、そのまま抱き合ったままベッドに倒れこんでしまった。一旦、呼吸をする機会を与えられナツミが深呼吸すると、またソルがナツミの上に覆いかぶさるようにキスを落とす。
「ひゃ……」
唇、頬、首筋……と雨のようにキスが降り注ぐ。思わず変な声が漏れてナツミが口を塞ごうとするとソルが手首を掴みそれを阻止した。
「かっこ悪いところも、ナツミなんだろ?」
「か、かっこ悪い、って……っ」
もっと他に言い方は無いのかと普段なら言い返していただろう。そんな余裕など無く、ひたすらナツミは恥ずかしさに耐える。
手がゆっくり下降し、ナツミの胸を撫でる。再び声が漏れそうになるのをナツミはぐっと我慢した。今は深夜で、皆が寝ているという不安も頭にチラついていた。寝巻きの上から胸の中心を摘ままれ、全身が大きく震える。何度も行き交う掌の刺激に身体を捩って受け流そうとするナツミ。ソルは顔を近づけて「脱がす」と言い放つと、ナツミは「え」と眼を瞠った。そういう行為なのだから当たり前なのかもしれないが、あまりにも直球過ぎる。そこで、ナツミは気づいた。
(あたしも……少女マンガみたいな展開、ちょっと期待してたってことか)
寝巻きを脱がすのに手こずっているソルにくすっと笑ってから、ナツミは手伝うようにそれをベッドの横に脱ぎ捨てた。下着にかかった手を振り払わず、ナツミはじっと羞恥心と共にソルが外すのを待った。ついに全てを晒され少し肌寒いが、すぐそれはソルの体温によって内側から放たれる熱さに塗り替えられた。直の肌で抱きしめあうこと自体、二人は初めてだった。互いの緊張が全身から伝わる。
今度は直接胸を柔らかく掴まれ、ナツミははっと息を呑む。そこに甘い蜜があるかのように、ソルが先端の突起を舌先で転がすのが眼下に見えて恥ずかしさでシーツを力いっぱい握り締める。ガタガタ震えるナツミの腕を、ソルは強引に片手で自分の背中に回した。
「俺に縋ればいいだろ。……俺だってお前にがっついてるところ見せるんだ……それぐらい、意地張んな」
「……ソルぅ……」
(――意地なんだ)
ナツミは目の前の少年の身体をぎゅうと抱きしめ返す。きつく桃色の突起を吸われ、背中が仰け反っても腕は放さなかった。慎重にソルの指がナツミの秘められた最奥の方に伸びる。いつの間にか互いの呼吸が荒くなっていることにさえ気づかない。先ほどまでと明らかに違う痛みさえ伴う刺激にナツミに緊張が走る。痛みから、徐々に慣らされて行く感覚が更にナツミの恐怖を煽った。
「……ソル、わたし……っ」
泣きそうなナツミの額にソルがキスをする。今では滲んだ涙さえ、ソルをぞくぞくさせる要因になっていた。きっとその涙は、思考を麻痺させるほど甘ったるい味がするだろう。紅潮したナツミの表情は今までソルが見たことがないものだった。きっと、誰にも見たことがない……見せたくない、ナツミの姿を腕の中に閉じ込めている。そんな幸福感に満たされるソル。
「みっともなくていい……俺、ナツミの全部見たい……欲しい……」
底知れぬ熱を宿した瞳に、ナツミの思考が奪われていく。ぜんぶ、とナツミは囁いてから余裕ない笑顔を浮かべた。
「最初から、これがあたしだったんだね……ねえ、ソル……っ」
身体の中心に異物を捻じ込まれる圧迫感にぐ、と息が詰まる。指とは圧倒的に異なる痛みと内部を押し広げられる感覚に今度は生理的な涙がぽろぽろ零れた。
「も、だいじょ……か……っ?」
切羽詰ったようなソルの呼びかけに、ナツミは「〜〜いた、い……」と濡れた声で答える。
「すまな」
「謝っちゃ、やだ……」
更に強く、ナツミはソルに抱きつく。最奥に突き進む感触に身体が上手くいうことを聞いてくれないが、それだけは変わらずに。
「謝らないでよう、ソル……っ」
止めどなく肩を震わせむせび泣くナツミの背中を懸命に撫でながら、ソルは自身を最奥まで挿入すると唇をナツミの涙に濡れた頬に寄せた。
「……ありがとう……ナツミ…………」
「――ソル……?」
どこか故障してしまった機械のような動きで、ナツミが恐る恐るソルの顔を見つめる。
「おかしいな、お前の方がつらいのに…………釣られて……馬鹿だな俺」
「あたし達、おかしいね」
人差し指で丁寧にソルの目元を拭うと、ソルはばつが悪そうな表情になった。くす、はにかむ様に笑ってからナツミは首を伸ばしソルの耳元で囁く。
「そんなところもね、大好きだよ……」
言い終わった途端、激しく唇を吸われ思考は完全に吹き飛んだ。理性は、声を出さないが為だけに消費されていく。
「モモモノには限度がっ」
「そんなところもってお前が言うからっ」
「!!! バカバカーッ!?」
小声で繰り広げられる応酬に色っぽさやムードは存在しない。二人ともぐったりするまで、甘い夜は静かで物騒な夜へと変化してしまった。


「――――38度……風邪ね」
体温計を見て、はぁ……と重いため息。ソルは思わず「す、すまない」と口走る。それには突っこみをあえてせずに、リプレは「お粥作ってくるね」と部屋を出て行ってしまった。ベッドで顔を真っ赤にしながら横たわっているナツミの傍らまで椅子を動かし、ソルは面目なさそうにナツミの前髪を揺らすように触れた。
「そういえばお前、熱かったもんな」
「今さら言う……そーゆーこと!?」
気恥ずかしさもあって、ぷいとナツミは壁側の方に寝返った。
「怒ってるのか……?」
「……今日は、ずっと、一緒にいてくれたら、その、許す」
ソルは笑いを堪えながら、ナツミの背中に語りかける。
「最初からそのつもりだけど」
「――――うん……」
また泣きそうになって、ナツミは布団を被りこんだ。きっとソルには気づかれているだろう。それが、嬉しくて。





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