『この世界に、真の王は一人しかいない。それは、エルゴの王だ』

 いつだったか、聞いた言葉。それは召喚術を学んでいる最中であったか、クラレットの記憶は定かではない。あんなにも必死に、命を懸けて積み重ねてきた年月であったというのに、まるで蜃気楼のようにぼんやりとしか見えてこない。それは、クラレット自身は思い出したくないのか、年月そのものを否定したいのか……。
 クラレット自身にも分からない。今いる場所が、あまりにも綺麗で、目が眩んでいるのかもしれなかった。

 ハヤトが『アルバイト』で稼いだバームで最初にしたことは、リプレに生活費として渡すことと、クラレットにひとつ、質問を投げかけることだった。クラレットの部屋で、突然ハヤトが切り出したのは……
「クラレットは、何か……欲しいのとか、ない?」
 妙によそよそしく聞くハヤトにきょとんとしながらも、クラレットはハヤトの言葉を真面目に検討してみた。欲しいものというより必要なものは、サモナイト石。これは足りているから却下。食糧は共同なので欲しいというのは違う気がする。ならば……?
「えーっと、クラレットー? おーい、クラレット〜?」
「――――はいっ」
「そんなにぐるぐるしなくていいから」
「まわってません」
「あはは……うん。あのさ、パッと浮かんだのとか、無い?」
 困ったようにして笑うのはハヤトの癖だった。本当に困らせている訳ではないとクラレットにも分かるようになったが、質問には答えられていない。それが少し、クラレットは哀しい。
「――本人に直接聞くって方が甘いのかな……」
 ハヤトが腕を組んでうーんと呻りだす。これは本当に困らせてしまったのかもしれない、と思った時だった。ハヤトがふと、机の上に飾られた一輪挿しを目に留める。それは、花屋で買ったようなものだけでなく草原や街角、森でクラレットが気の赴くままに採ってきたものが飾られていることが多いとハヤトは知っていた。
「クラレットって好きだよな……」
「え?」
 目をぱちぱちさせてからクラレットが見つめると、ハヤトはすっきりした表情で笑った。
「うん、決めた」

 ――そして後日、クラレットにハヤトから贈られたものは、リィンバウムの草花木を網羅した重みのある図鑑だった。ガゼルやアカネたちが「色気なさすぎ」とハヤトを小突く光景がフラット内で見られたが、クラレットには目に入らなかった。何故、ハヤトが突然クラレットに本を贈ってくれたのか解らない。けれど、渡された本を断ることはクラレットには出来なかった。クラレットにとって、あまりにも魅力的だったのだ。
 もちろん、それだけではない。

(ハヤトが、私に……)
 胸に図鑑を抱きしめながら、クラレットは朝から川沿いの草原まで散歩をしていた。アルバイトが終われば、ハヤトが迎えに来てくれると言っていた。それまでに、視界に入る草花の種類を図鑑で照合していくこと。……クラレットは燃えていた。
「えっと、この花は……」
 何気なく採っていた花の名前を知らずにいた。今、それが少しずつ判明していく。クラレットにとっては胸が高鳴る時間である。
「あっ、この実は……そう、毒性があるのね」
 そうしている間に時間が過ぎていたことに、クラレットは気づかなかった。――背後に迫る、影の存在にも。
「――きゃっ!?」
「あはは、ごめんごめん」
 頭に何か触れた……乗せられた感触に、クラレットは思わず飛び上がりそうになった。振り返るとハヤトが両手を併せて「ごめん」と悪戯っぽく笑顔で立っていた。
「ハヤト……」
「すごく楽しそうだからさ、声かけるの躊躇しちまったよ。んで、それは俺からプレゼント」
「……? これは……」
 手で、ゆっくり頭の上に乗っかっているふわふわした物体を取ってみる。それは、輪っかに編みこまれた白い花だった。以前、リプレにラミたちが贈っている姿を見たことがある。
「ラミたちに教えてもらってさ、前よりは上達してるなって、自画自賛」
「あの、ハヤト……これは、何というものですか? 何か意味合いがあるものなんですか?」
「んーー? 花かんむりだよ。花の王冠って感じかな? 意味はーークラレットに似合うから乗せたかっただけ」
 ハヤトはのほほんとした表情である。しかし、クラレットには解せなかった。
「あの、それは違います」
「?」
「かんむりとは……王冠とは……ハヤトが持つ資格があるものです」
 真面目に語るクラレットに、ハヤトはやっぱり、困ったように苦笑を浮かべた。
「そんな重いものには興味がないし、頭に乗せたくないなぁ。それにさ、そのかんむりはやっぱりクラレットに似合うよ」
「――そうでしょうか……? あの、何故ハヤトは私に図鑑や、こうして花かんむりをくれるのですか?」
「な、何か贈りたくなったんだよ。日々の感謝をこめて!」
 当然の質問をしたつもりなのに慌てふためくハヤトにクラレットは首を傾げる。
「あーーうーー。クラレットは、そのかんむりは気に入らない?」
「い、いいえっ。ハヤトが作ってくれたものなんでしょう? 嬉しい、です……」
「良かった」
 ほっと安堵したハヤトが、再び自分がぎこちない手作業で作った花かんむりをクラレットの頭に被せる。
「……私、似合いますか? 確かに、このお花は好きなのですが」
「似合う、よ……?」
 はにかんで言うハヤトに釣られて、クラレットも妙に気恥ずかしくなってしまった。ふわっと、頭上にかかった重みは風で飛ばされそうなほど軽いのに、柔らかな香りに包まれたような気がして……。






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