物語はこうして終わる

 どこで間違ったのか、ギフトには分からない。否、間違ったことなど無かったはずだ。
 間違ったのは、周囲の方だった。
親が、術の扱いを失敗して呑みこまれたこと。
兄がギフトを置いて家を出て行ったこと。
アルカがそれを追いかけて召喚師になったこと。
どれも、間違いだらけだ。ブラッテルン家が継承した遺産を正しく扱えば、こんなことにならなかったはずだ。
(では……やはり俺は間違えたのか?)
 ちがう、ちがう、ちがう……。


『ギフト!』


 世界はいつの間にか醜悪になってしまった。世界と世界を繋ぎ、新たな絆が結ばれたという。それでも、世界に争いが絶えない理由をギフトは知っている。それは、幼い頃から覚っていたことだ。
 ――与えられた絆に、何の価値がある?

 チラリと弟の顔を見て、申し訳なさそうに兄エルストは俯いた。母が猫なで声で寄ってくる母、そして縋るような声で近づく父には軽蔑の眼を送っていた。
 ギフトも、親は好きじゃなかった。嫌いでも、なかった。それは、関係が無いからだ。無関心だから、感情にさざ波ひとつ立たない。ブラッテルン家という同じ枠組みの中にいたって、縁はあっても絆と呼ばれる類のものを感じたことはない。
「本当、俺たちの親サマは何を考えてるんだか」
 ぼやくように、窓の外を見つめながらエルストは言った。殆ど独白に近いと知っていたが、ギフトはあえて答える。
「兄さんのことを、考えてるんだと思うよ」
「……そりゃ、ありがたいこった」
 深いため息と共に、エルストは踵を返した。
「あの人らは自分のことすら考えられないんだ。狂った宗教と同じだ。かつての栄光だけを追いかけて」
「でも、父さんと母さんは世界を護るためだって」
 はっと、吐き捨てるようにエルストは笑った。
「見てみろよ……この屋敷の禍々しい空気と歪んだ魔力の巣窟っぷりを。これが、世界を救うものに見えるか?」
 ギフトは眼を逸らした。
「解らないよ。僕は、他を知らないから」
 生まれた時からこの空気を吸い、魔力を肌に感じてきた。召喚師としての資質が低く、失望されたといっても魔力の匂いは分かる。濃厚な、過去から蓄積された残り香だ。
「……そうだな……分からないよな……」
 すっと眼を細めて、エルストはギフトの柔らかい髪をくしゃっと撫でた。


『ギフト!』


 屋敷から兄がいなくなって、両親はとにかく嘆いた。食事を摂らない日が続き、ギフトなりに何か作ろうとしても拒否され、偶然知り合った女の子……アルカの家から貰った差し入れに対しては嫌悪さえ向けた。
 助けたいとか、元気になってほしいからじゃない。彼らがいなくなると、本当に独りになるから。
(あれ……でも、僕は)
 もしかして、ずっと独りだったんじゃないだろうか。兄から届いた手紙には、響友とめぐり合った感動が綴られていた。魂を呼応しあう、真の絆を得たのだと。満面の笑顔で、異世界からの住人と並んでいる写真が同封されていた。
「響友って、なにさ」
 ぐしゃり、と笑顔を握りつぶす。何もかもから解放されたと晴れやかな表情だった。その、解放されたかったものの中に……。
「ねえ、僕も、いたのかな」
 解放されるほどの重みも価値もあったのか、無かったのか。最初から何も、無かったのか。
 やっぱり、独りだった。


『ねえ、ギフトってば!』


 そういえば、アルカがすごく寂しがっていたことを思い出す。エルストが屋敷を去ったことをアルカにも伝えようと、そっと抜け出して会いに行ったのだ。すると、アルカは何れこうなると知っていたようだった。
「エルストさんは、大きなことをやってやるんだって……夢を追いかけるんだって。だから、アルカは泣いてちゃダメだよね」
「大きなこと……?」
「わたしも、ああなるの!」
 眩しい笑顔には、見覚えがあった。あの写真と同じものだった。胸がキリリと痛むのを隠すように、ギフトは皮肉った笑みを浮かべた。
「大きなことって何だよ? とっても適当な言い方じゃないか……!」
「う〜〜ん……」
 アルカが腕を組んで呻る。結局、アルカも詳しくは聞いていないらしい。そのことに安堵を覚える自分が小さく思えて、堪らなく嫌だ。
 ふと、アルカは弾けるように顔を上げて笑う。
「たとえば、世界を救っちゃうとか!」
「世界を……救う……?」
 それは、両親と何処が違うというのか。否定していたものと同じではないか。
「世界をって、何からさ……」
「そりゃあ大きな悪とか! エルストさんが正義の味方だよっ」
 自信満々に言い切るアルカにあわせて、ギフトは「ふーーん、そうなんだ」とだけ答えた。
 大きな悪とは何だろう。兄が悪と見なすとしたら、それは……。
「ねえ、僕は……」
 それとも、悪にすらなれない?


『ギフト、お願いだよう……少しでもいいから、いいからっ』


 遠くから知った声が聞こえる。必死に叫ぶ声が。それは、泣いていた。自分の名前を呼びながら、何故か。
 視界が白から淀んだ黒へと変わっていく。いや、黒ですら無い。なんと呼べばいいのか分からない、あらゆる世界の反吐を合わせたような色。
(そんなものしか、生めなかった)
 正義と悪があるとして、もう一方の立場からすると、相手は必然的に敵対者だ。どちらにも理があり、ぶつかり合い対立する。
 その価値すら、無いというのか。
「はは……間違ったんだ。生まれた場所を。吸った空気も、魔力も。間違え続けてたんだ……」
「ギフト……ギフト、それ以上言わないで……っ」
 懇願する女性の声。視界にふわりと舞ったのは、鮮やかな朱色の髪だった。
「生まれたことを間違えたなら……ねえ、どうしたら良かったっていうんだい?」
 口を辛うじて動かし、声にならぬ声でギフトも呼んだ。最後にやっと、自分を見つけてくれたらしい幼馴染の名を。
「じゃあ何で持っていてくれたの……」
 泣き崩れそうになるのを必死に堪えて、アルカは立っていた。片手には、いつからか持っていた、あの『剣』があった。
……そう、彼女はとても強いのだ。
 出会った頃から、ずっと……。


幼い頃、よくチャンバラまがいの試合をしていた。エルストには女の子に怪我をさせちゃいけないぞ、と再三言われたが、ギフトと同じくらいアルカは負けず嫌いだった。自然に熱が入り、お互いあちこちに生傷が絶えなかった。
 一度だけ、アルカを勢いよく吹き飛ばして出血させてしまったことがあった。頭から血が流れ、死んでしまうかもしれないと心が冷えた。
 助けを呼ぶにも、ギフトとエルストは両親にアルカという少女と知り合っていることに不快感を持っていることを知っていた。なら、アルカの親を呼んで助けてもらえばいい。
 ――それなのに、足がなかなか動かなかった。
「アルカが危険なのに……」
 はらはら頬を涙が濡らし、倒れているアルカを見やる。「う……」と呻いて、ゆっくりアルカは血を流したまま顔を上げた。
「アルカ……!」
 助けを呼びたい。今すぐ、アルカの親を呼べば解決するだろう。でも、そうしたら二度と自分と会うなと言われるかもしれない。そんな気持ちが渦巻いた。
「ね、ギフトだいじょうぶだよ。血がちょっと多めに出てるけど、大したことなさそう。ハンカチ、貸して?」
「う、うんっ!」
 慌てて鞄の中のまだ使っていないハンカチをアルカに渡すと、アルカは額のやや上……血が流れてくる部分を押さえて「びっくりしたね〜」と笑った。
 その笑顔に申し訳なさや自分への腹立たしさが湧いて、再びギフトの眼から涙が溢れた。
「僕は……僕はっ」
「だいじょうぶだよ、すぐ治るって!」
「――うん……」
「ギフトの泣き虫〜〜、よしよし」
 普段ならそんなことされたら手を払いのけただろう。そんな風にしていいのは、兄だけだと思っていたから。しかし、アルカの手は兄エルストとは違っていた。繊細な、労わるような仕草で。
「傷つけた方も、痛いよね」
 アルカもじんわり、涙を滲ませていた。痛いのはそっちだろう、と言い返したくても出来なくて、二人はいつの間にか一緒に泣いていた……。お互いが泣き止むまで、ずっと。


 怪我をさせてしまってから、エルストから託されたのは当たっても全く痛くないおもちゃだった。重みも何も無く、それでは緊張感がないとギフトは抗議したのだが。
『怪我させる方がつらいだろ』
 アルカと同じことを言う兄に、ギフトは頷くしかなかった。アルカの前髪から覗く怪我の跡を思い出すと、尚更。




「最初から負けてた……ちがう、僕、は」
「違うよ、ギフト……そっちじゃない……」
 視界には、もう懐かしい朱色は見えない。全て隠されてしまった。向こう側と、こちら側。ギフトは遮断された中で、呟いた。
「最初からいなかった」



 おもちゃの剣を握り締めて、アルカは膝をつく。おぞましい冥土と同化して、彼は消滅した。絶望でも怒り、哀しみでもない。諦めと共に。
「私だって、救ってない……何も」


 正義の味方は、どこにいたんだろう?


 仲間たちが呼んでいる。かけがえのない、仲間が。振り返り、アルカは微笑んだ。この涙は、彼のためだけに捧げようと思ったから、誰にも見せない。そんな、独りよがりな決意を胸に仕舞いこんで。





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