バノッサとカノンが行動を共にし始めてから、日にちが過ぎた。互いに仲良くも気まずくもない、ただ一緒にいるだけの時間が……。
「……テメェ、片方の親が鬼妖界のヤツだったな?」
 ぱらぱら雨が降る中、所持金は無く街角の休憩所で一時しのぐ。そんな中、今まで触れなかったことについてバノッサは聞いた。2人は名前と、カノンが半分はぐれの血を継いでいることぐらいしか情報を共有していない。
「はい。父が、シルターンの住人で……母は、リィンバウムの人間でした。随分前に僕を生んだせいで責めたてられて、それで……」
「フン、そこまで聞いてねえよ」
「あっ、すいませんっ」
 確かにその通りだ、とカノンは口を噤む。今まで誰かに生い立ちについて話す機会が無かった。カノンを恐れず声をかけたバノッサだからこそ、自分が溜め込んできたものを聞いて欲しかったのかもしれない。
「……その力が発現したのは最近か」
「え、あ……数年前です。詳しくはもう覚えてないですが……すいません」
「いちいち謝るな、ウザいんだテメェ」
「すい」
 鋭利な目で睨まれ、再びカノンは口を閉ざす。視線から逃れるために、街並みの方を見てみた。薄い雨模様の向こう側にある生活は、カノンが望んでも手に入らないものだった。急いで家に帰る子供たち、買い物途中の女性、荷台を担ぐ青年……きっと、それはありふれた光景であるはず。
 すん、と鼻先まで漂う空気に混じるのは、雨と、食卓と、土の匂いだった。
「メシを取ってくる。テメェはここにいろ」
「――はい」
 立ち上がったバノッサに、カノンは従順な返事をした。バノッサがいつもどうやって食糧を確保しているのか、紙幣を手に入れているのかカノンは知らない。否、想像はついた。もし聞いたらバノッサは横柄な態度でも答えるだろう。カノンが恐いのは、その先だった。
『なら、お前はどうするんだ』
 そう聞かれたら、カノンにはどうすることも出来ない。今は、与えられたものを得て生き長らえているだけなのだから。


 少し脅せば、その日をやり過ごすだけのものは手に入る。はぐれや盗賊団といった連中が持っているものだけで不足すれば、手段は選ばない。それがバノッサのやり方だった。どうせ余るものならいいだろう、と。余るものは捨てられるのだ。それは、モノに限らない。
「……力が発現したのは数年前、か」
 慌てて逃げていく男どもを無視して、バノッサは呟く。
 当初は『はぐれ』を従属させるのが目的だった。召喚師が扱う召喚術には、護衛召喚獣との契約という種類があることをバノッサは知っていた。カタチだけでも召喚師としての面子を保とうとしたが、馬鹿馬鹿しくなって止めた。張りぼてにしか見えないであろう滑稽な自分を想像するだけで苛立ちが暴発しそうだった。
 ――それより、カノンのことである。
「半妖……しかも、鬼神レベルのか」
 召喚術の知識は今はもういない母から教え込まれた。知識だけ残り、術を得ることが出来なかった。それが更にバノッサを腹立たしくさせる。
「このまま力に飲み込まれなければの問題……」
 響界種……と呼ばれる生命がリィンバウムに存在することも、教えられた知識の中にあるものだった。親の力を受け継ぎ、時に親以上の力を持ちえることもあるという。その力ゆえに差別され、力に肉体が耐えられず短命なケースもある。しかし、力を制御できれば……。
「アイツ、そのことを知ってやがるのか?」
 恐らく知らないのだろう、とバノッサは思う。どっちにしろ、人間であろうとはぐれであろうと……半妖も、独りには違いない。それが遅いか早いかの違いだ。
「……チッ、厄介なモン拾っちまった」


 バノッサが休憩所まで戻る頃には雨が止んでいた。カノンは変わらずぼんやり街の方を眺めていた。バノッサに気がつくと慌てて立ち上がり「おかえりなさい」と迎えた。
「――テメェ」
「は、はいっ」
「夕飯はテメェが確保してこい」
「えぇ!?」
 突然の言葉にカノンが声を上げる。突然どうしたんだろう、とあからさまに恐怖と不審の表情を浮かべるカノンを、バノッサは睨みつける。
「当たりめぇだろうが」
「で、でも、僕はバノッサさんみたいに」
「テメェは犬か? 小屋か檻の方がラクだったか? アァ?」
「……!!! 僕は、バノッサさんみたいに、出来ない……っ」
 柔らかさと苛烈さを兼ね備えた紅い瞳が、不安げに揺れた。
「別にテメェに強盗してこいとか言ってねぇだろうが。最初から期待してねえよ」
「なら……」
「テメェのやり方でやれ。それぐらい自分の頭で考えやがれ」
「!!! あの、僕、行ってきます!!!」
 目をぱちくりさせてから、行動は早かった。バノッサを横切りカノンは街の方へ走っていった。
「オイ、持って帰ったばかりだぞテメェ!?」
 叫んだ時には、もう声は届かなかった。恐るべき脚力である。

 ――しばらくして……。
「あの、パンを貰ってきました!!!」
 荷物を持つのを手伝い頭を下げて、長い会話にも付き合って……そんなこんなで手に入れたのは、「明日の朝にでも食べなさい」と渡されたサンドイッチだった。
「おせェ!!!」
 カノンを迎えたのは怒声だった。不機嫌さを隠さないバノッサ、そしてすっかり暗くなった辺りに今さら気づいて、カノンは「すいません!!!」と慌てふためき頭を下げるのだった。




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