傀儡戦争が終結し、殺伐とした空気も随分遠のいた。再びサイジェントの街は、新たな復興を目指し活気を取り戻していた。
そんな街並みを歩く男女が二名。ハヤトとクラレットだった。特に目的はなく、街の様子を見に行こうという……つまり、ただの散歩だった。歩いていると、ハヤトは「あれっ?」と首を傾げる。
「どうしました?」
「……あんな店、あったっけ?」
ハヤトの視線の先にあるのは真新しい店だった。屋根は目に眩しくない橙色で、全体的に可愛らしい雰囲気である。クラレットが看板を見てぽつり、と呟く。
「……けえき?」
「へーっ、サイジェントにケーキ屋ができたんだ? やっりぃ!」
聖王都では普通にあるようなのだが、サイジェントには今までそういう店は無かった。あってもパン屋の菓子パンぐらいで、ハヤトが住んでいた名も無き世界の女子高生であれば「信じられない」とでも言うのかもしれない。
「けえき……ケーキ屋さん、ですか……」
「クラレットも好きか?」
「いえ、私は……ハヤトは好きなんですね?」
「好きというか……たまに食べると幸せになるじゃん、甘いのって。クラレットは甘いの苦手だっけ?」
リプレが出してくれるおやつを嫌っている様子はなかったと思うが……ハヤトが振り返っていると、クラレットはゆっくり首を横に振った。
「あの、食べたことがなくて」
「えっ、そうだったのか」
「はい……。あの、おかしいでしょうか……」
少しシュンとしたような、気恥ずかしさが入り混じった表情で聞くクラレットに、ハヤトはからっと笑った。決めたら即行動。それがハヤトである。
「じゃ、行こ!」
「え、え、え……?」
手を引っ張るハヤトに誘われ、クラレットは初めてケーキ屋の中に入るのであった。


店の中も、女の子が喜びそうな装飾があちらこちらに散りばめられており、入ってからハヤトは「クラレットもいて良かった」と胸をなでおろした。一人でこんな可愛らしい店に入るのは、気恥ずかしい。クラレットが抱いたものとは全く別ものの感情である。
「あ、中で食べられるんだ。いい匂いだよな〜」
店内には喫茶スペースが設けられており、ハヤトは「やった、食べようぜ」とクラレットに声をかける。しかしクラレットはそれどころではなかった。店の透明ケースに並んだ色とりどりのケーキに目を奪われていたからだ。
「なんだか、宝石みたいです……」
少し興奮気味に言うクラレットに、女性店員の一人が微笑んで声をかける。
「こちらのフルーツタルトなんて、旬の果物をたくさん使っていてお勧めですよ?」
「たると……」
カラフルな色合いのタルトは瑞々しく輝き、クラレットは「綺麗」と呟く。それを横で見ていたハヤトが、「じゃあそれ食べてみる?」と言うとクラレットはこくこく頷いた。いつもは遠慮がちのクラレットだが、好奇心や興味が勝ると前のめりになる。そこが、「可愛いなぁ」としみじみハヤトは思うのだが口に出すのは止めておいた。

前に用意されたフルーツタルトと紅茶のセットに、クラレットは「わぁ」と小さく感嘆の声をあげた。甘酸っぱい香りと紅茶の香りが混ざり、とても心地よい。正面に座るハヤトはショートケーキとコーヒーを頼んだ。リィンバウムにも自分がいた世界と似たものが溢れていることは知っているが、もしかしたら同じようにはぐれとなった名も無き世界の住人が広めたのかもしれない。
若しくは、どこの世界でも甘いものは愛されている……それだけのことか。
「ひゃっほう! いただきまーす」
ハヤトはうきうきフォークに手を伸ばす。上に乗っかった赤い果実はどう見てもハヤトの世界でいうイチゴだが、こちらでは名称が違うのかもしれない。最後のお楽しみに皿の横に寄せておく。自分でも意外なほどウキウキしていることに、ハヤトはこっそり照れ笑いしてしまった。
「……あれ? クラレット、食べないのか?」
じっとタルトを見つめたままのクラレットに、ハヤトが気づいた。クラレットは困ったように答えた。
「……もったいなく、て……あの……」
「そっか……。でもさ、これからは毎日通うことだって可能なんだぜ?」
はやとが手を正面からのばし、クラレットの頭を軽く撫でる。ぽたぽた零れ落ちた涙を両手でごしごし拭ってから、クラレットは「は、い……」と言って微笑む。
「……ま、またここに来てさ、いつか全種制覇しようぜ?」
照れ隠しで声が大きくなるハヤトに、クラレットは「はい」としっかり頷いてまた微笑んだ。喉が急激に渇いてハヤトはコーヒーをごくごくっと飲み干してしまった。少し、後悔。
クラレットは決心してフォークを握る。そして、タルトにそれを突きたてようとしたら……。
「「あ」」
クラレットの予想より固いタルト生地にフォークは刺さらず、頑張って力を入れた拍子にタルトがひゅんと机の横に飛んでいってしまった。床でぺちゃん、と横に倒れた生地と上に乗せられていたフルーツはばらばらに分離してしまったのであった。
「……〜〜〜っ」
ぶわっと泣きそうになるクラレットに、「ああどうしよう」とハヤトは視線を漂わせる。これは、クラレットにとって大打撃に違いない。「また食べられるって!」と軽く言うのも憚られ、ハヤトは思いついたようにクラレットの口に、指先でひょいっとショートクリームの上に乗せてあった赤い果実を放り込む。
「甘いか?」
こくん、と頷くクラレットに、ハヤトは「そっか」と笑う。
「今度は俺も一緒に食べるから、食べ方気をつけような」
「勉強ですね?」
ごくんと飲み込んでから、クラレットは熱意を込めてハヤトに強く言った。「それはちょっと……」と苦笑いを浮かべてから、「まぁいっか」と開き直る。
事の次第を微笑ましく見守っていたらしい店員のサービスによって、新しいタルトが運ばれてきたのはその数分後。頑張ってタルトを切り分けようとするクラレットを見ているだけで、なんだかニコニコしてしまうのは何故だろう。
そんなハヤトは、早々に飲み干したコーヒーの二杯目を店員に頼むのであった。




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