「はい、じゃあしっかりね? 捨てるものは部屋の前に置いてくれたら、後でまとめて回収するから」
リプレに渡されたのは、掃除用具一式だった。年末といえば大掃除……というのはリィンバウムでもフラットでも変わりないらしい。フラット全体はこまめにリプレが掃除しているのでそんなに汚れていると思わないし、大掛かりなことしなくてもいいじゃないか、とハヤトは思うのだが。
「それはそれ、これはこれなの!」
リプレにきっぱり言われて、はいと返事するしかなかった。
それに、自室の掃除は基本的にそれぞれ任されている部分が大きい。ハヤトは自室を最後に掃除したのはいつだっけ、とぼんやり考えてから苦笑する。
同様に掃除用具を渡されたクラレットがきょとんとしていることに気づいて、ハヤトは「クラレット?」と呼んでみた。すると、「は、はいっ」とクラレットは背筋をしゃきんと伸ばして答えた。
「どうしたんだ、固まっちゃって」
「あ……はい、掃除ですね」
「もしかしてクラレットもあんまり掃除してなかったからキツイとか?」
むっとクラレットはハヤトを睨む。
「普段から綺麗にしてますっ」
「うん、そうだよな」
知ってる、と笑うハヤトにクラレットは視線を少し落として気恥ずかしさを隠した。


クラレットはバケツと雑巾、そしてゴミ袋を部屋に運んで自分の部屋を見渡す。飾りものはリプレにもらった花瓶と、活けてる白や薄水色の花。それ以外は元よりあった調度品がほとんどである。後から購入した本は普段から本棚に収容しているので、これといって片付けるようなものは無い。
ハヤトに召喚術やリィンバウムのことを教える時間に使用するメモ書きが机の上やくず箱に残っている。あとは、磨けるものを磨けばいいぐらいだろうか。
そう考えていたら、隣の部屋からドッタンバッタン賑やかな音が聞こえてきた。ハヤトは掃除を開始したようだ。
「……私も」
きゅ、と拳を握り締めて、クラレットは意気込んだ。


拭いてみると、思っていたより汚れているようでクラレットはいつの間にか床磨きに没頭していた。
廊下からガゼルやリプレの会話が聞こえてくる。そろそろ皆の掃除が終わりだす頃。慌ててクラレットは紙切れを袋に入れようと手を伸ばすと……。
クラレットの知らない文字が並んだメモが、机の上に無造作に置かれていて。少し気になってクラレットはひょいと拾うと、時折勉強中にハヤトが頭を抱えながら書いていたもののようだった。
「クラレットー、なんか手伝うことあるかー?」
不意にドアが開けられ、クラレットはびくりと全身を緊張させた。
「どうしたんだ?」とハヤトは硬直した様子のクラレットに声をかける。まずドアをノックしてほしい、と言うのを忘れてクラレットは「あの……」と口ごもる。
「あ、俺のメモ書きかー。ごめん、クラレットの部屋のゴミ増やしてるのってほとんど俺っぽい」
苦笑しつつ頭を掻くハヤトに、クラレットは「それはいいんですけど……」と小さく言う。
「それ、俺のいた世界……名も無き世界の言葉だよ。その中のひとつっていう方が正しいんだけどさ」
「やっぱり……」
クラレットはじっとハヤトのメモ書きを見つめる。
「ハヤトはリィンバウムの文字を書くのが苦手ですけれど、こちらの文字がこんな形をしているからガタガタになるのですね」
「い、いや……向こうの世界でも俺の文字はガタガタだと思う……」
真面目な口調で納得しているクラレットに、ハヤトはがっくり肩を落とす。
「そうなんですか」
「そうなんだ……うん」
クラレットのじっと見つめる視線に、ハヤトは「どうした?」と首を傾げる。
「……ただ、向こうの世界のハヤトは……どんなハヤトだったのか、とか……気になってしまって。すいません」
「向こうの俺もこんな俺だったってことだよ。……あ、少し違うか」
はにかんで笑うハヤト。クラレットは動きを停止させてハヤトの言葉を待つ。
「大分違うかも。クラレットがいるから」
「私がいると違うんですか」
それは、良いことなのだろうか。それとも悪いことなのだろうか。クラレットには判断がつかない。何故、自分がいるかどうかで変わるのか。
「なんか、クラレットがいるとあたふたするというか、う〜〜〜っ」
「それはハヤトが落ち着きないだけでは」
「まぁいいや。掃除しよ!」
カラッと笑うハヤトに、クラレットも頷く。ハヤト自身にも答えが出ていないものなら、解りそうにもない。
ただ……。
「あ、この花飾ってるんだ。前に平原で見つけたのだよな」
「あ……はい」
「気に入った?」
とても簡単な質問なのに、クラレットは咄嗟に言葉が出なかった。
気に入った、という意味。感覚。概念。なんとなく部屋を見渡し、最後に……ハヤトの真っ直ぐな眼差しにぶつかり、少しだけ……『あたふた』する。
「あの、気に入りました……っ」
「そっか、良かった」
やはり簡潔な、ハヤトの言葉。何が良かったのか、いまいち解らないが……。
「ハヤトも、このお花のこと、気に入りましたか?」
「ああ、これに生った果実の方も美味しくて好きだし」
「そういう話じゃないです!」
また、むきになってしまったことに内心後悔している。フラットで暮らし始めてから、感情のコントロールが上手くいかないことが増えてきた。というより、自分にそんな感情があったことにクラレットは戸惑いがある。
「そういう話じゃなくて……っ」
どう言えばハヤトに伝わるのか。精一杯考えてみてもなかなか上手く見つからず、気持ちが沈みそうになると、あっさり。
「うん、綺麗な色してるよな。クラレットにも合ってる気がするし」
「……私に、合ってる?」
その瞬間、また新しい何かが自分の中に生まれた気がした。今までに無かった感覚がふんわりと、芽生える。まだ花開くまでは遠い……意外に近いかもしれない、不思議な感覚。
「それは、どういう……」
「わーーっ、ヘンなこと言った! ごめん、掃除しよう!!」
「……確かに、あたふたしますね……」
「年末だからなっ」
ハヤトの返答に、それは違うような気がするクラレットである。

新たに芽生えたものが何であるか、理解できる日は来るのだろうか。
ちらりと、忙しく動くハヤトを見て自然と微笑んでいた。
あたふたでも、ゆっくりでも。ハヤトといる時間には違いないのだから。




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