出入り口の前で、まだか、まだかとリプレはひたすら待っていた。待つ事はリプレにとって特別なことではない。物心が着いた頃から、リプレはそうやって過ごしてきた。
帰る場所を守ってくれてるんだ、と皆は言ってくれるけれど、それは置いていく者の心理であって、リプレにしてみれば「勝手よ」ということになる。
ハヤトはキールを、ガゼル達は二人を追いかけて出て行ってしまった。
詳しい話は聞いてないが、キールの身内が知らない間にここまでやって来たらしい。
「二人はきっちり連れ帰ってくるから、リプレは飯作っといてくれ」
ガゼルはそう言っていた。……いつも通りに。
しかし何故だろう。今回は大丈夫だと自分に言い聞かせても不安が拭えない。頬に触れる風は生温く、心地よさを与えてくれるものではない。
「――あっ。帰って来た!?」
見覚えのある人影が向かい側に見えてきた。リプレの表情はぱっと明るくなる前に、いつもと様子が違うことに気づき不発に終わった。
いつもなら、ガゼルが面倒臭そうに歩き、そのやや後ろではハヤトとキールがのんびり喋りながら……歩いているのが、いつもの光景である筈なのに。
「――ガゼル……エドス……フィズ……アカネ、何が、あったの……?」
明らかに皆、憔悴していた。特にガゼルやエドスはあちこち切り刻まれたのか、服に血が染み付いている。怪我自体は召喚術で治癒されていた。
直接戦闘に参加してないが、遠巻きに様子を見守っていたフィズは口を開こうとしたがガゼルに制止された。
「ねぇ、何があったの……ハヤトとキールは?」
「わからねぇ……オレ達にも」
「あの場を離脱するだけで精一杯だったからな……後ほど騎士団にも捜索依頼を出しておかんと」
エドスが疲れた声ながらも年長者として意見した。アカネはその場にぐたりとへたり込んでしまった。
「――アタシの馬鹿……守れなかった……」
ぽた、ぽたと地面に染みが生まれる。アカネなりの覚悟で守ると決めた誓いは今日、脆く崩れてしまったかのようだった。
「お願い、ちゃんと説明して。何があったか」
「ああ、とにかく……中に入るか」
ガゼルはリプレを促す。しぶしぶ中に入るリプレの背中を見て、あの場にリプレがいなくて良かったと心底安堵した。血塗れた戦場だからではない。
ハヤトとキールに起きた悲劇、そして怒りと憎悪に狂うハヤトを見せたくなかった。 ガゼルだって、見たくなかったのだから。一部始終を見ただけのフィズでさえショックを隠せないでいた。ガゼルはハヤトの変貌については流して話し、大体のあらましをリプレに伝えるのだった。
「キール……」
頬に触れると、ぞっとするほど冷たい。キールを蝕む呪具を取り除こうにも、触れるだけで血がじわりと広がる。元凶であるオルドレイクの魔力を断たねばならないということだろう。
ありったけの魔力を注いでも、キールは目を覚まさない。呼吸は止まっているが、心臓は微弱ながら活動していた。仮死状態……と言うべきか。
「俺が、弱いから……俺を庇って、キールは……!」
どくどくと血が沸騰するようだ。サモナイトソードの魔力がマグマのように噴き出し、それが地に触れると黒い体液に呑まれるように草が枯れていった。
「あいつらを、俺は……っ」
手が震える。気が狂いそうなほどの憎しみと怒り。この世にこんな激情があることを、初めてハヤトは身をもって知った。同時に、涙が溢れてくる。哀しいというより、痛み。全てが混ざり合って、押し潰されそうなほど……。
界の意志のささやきは、今のハヤトには届かない。最も傍らにいた相棒の、今にも止まりそうな心の音に藁にでも縋るような面持ちで耳をくっつけ聞き取ろうとした。
「アイツを……アイツを、ころ、し……」
圧倒的な力で蹴散らされた。しかし、やるしかない。それに、かつての同級生であるアヤや同じく巻き込まれた同世代の二人の少年と少女、……バノッサの存在。
「俺、馬鹿だからいっぺんに全部理解できないよ。こんな時にキールがいなくて……どうするんだよ……」
嗚咽が混ざりそうになり、ハヤトは深呼吸した。キールの胸元から顔をゆっくり離し、誓いを立てる。
「もう……誰も巻き込まない……」
キールを召喚獣に託しフラットまで運んでもらうことにして、ハヤト独りによる旅を始めなければならない。この旅の終わりは、呪いの元凶を断つこと。
ふと視線を落とすと、服は既に血であちこち汚れていた。それは自分の血よりも……。
「――うっ!?」
肉を裂く感触が、指先、手、腕と駆け巡ってくる。自分は確かに殺すつもりだった。あの時、妨害するもの全てを排除するつもりで戦った。それが操られていただけの存在だとしても。正直、ハヤトにはその時の記憶が薄い。怒り狂っていたからと、あえて今まで、目を背けていたからかもしれない。
「……なにが……誓約者だよ……。サイテーじゃないか……。皆から力を借りれるだけで、自分独りじゃ何も……」
これ以上言うと泣き言にしかならない。そう思いハヤトは押し黙った。
フラットの広間は、いつもの賑やかさも笑い声も無く、リプレが用意していた夕食を口数少なく食べていた。いつもなら最も全員が揃って騒がしい時間が、こんなにも変化してしまった。
「――一つだけ、確かなことがあります。ハヤトさんは無事です」
情報を聞きつけ急遽戻ってきたカイナが、重い口調ながらそう断言するとガゼル達は「ホントか!?」と声を上げた。
「はい。もし、本当に万が一があるのなら、エルゴから伝達があるはず。誓約者への加護は、まだ継続されています」
「そう、か……」
勢いで立ち上がったガゼルは息をついて再び椅子に座る。しかし、もう一つ気になることがあった。
「じゃあ……」
「すみません、キールさんのことは……私にも感知できません。ただ、オルドレイクが死に到らせるものではないと言ったのなら、命は絶えていないと思います……」
「命は、か……」
再び重い空気が広間に充満するのを回避したくて、フィズは慌ててわざと明るい声を出した。
「じゃ、じゃあハヤトがキールを連れて帰ってくるって!それで皆でオルドレイクってヤツを倒せばいいじゃない!」
ガゼルとエドス、それにアカネは顔を見合わせる。三人は間近で見たのだ。ハヤトがキール失い、泣き叫び……殺意と怒りに任せて力をぶつける様を。彼が失ったものは大きい。だから、責める気は無い。
――ただ……。
(アイツ……帰ってこないかもしれないな)
今はひたすら、二人がこれ以上危険に晒されていないことを祈るしかできない。
そして、真夜中のことだった。ハヤトが召喚したテテが冷たくなったキールと、書き殴られた手紙を持って帰ってきたのは。
リプレは声も無く膝をついた。それをフィズが咄嗟に支える。エドスとガゼルが、丁重にキールを部屋のベッドに運んだ。
カイナの予想した通り、命は落としていない。ただ、生きてもいない状態だった。
「ねぇ、カイナは専門でしょ?この呪いを解くことは……」
「ハヤトさんに解呪できなかったということは、私にも……無理です。元を断たねば」
「そうなの……」
元より日焼けしていないキールが、ますます透き通るように白い肌に見えてフィズは落ち着かない。
「って、アカネどこ行くの!?」
部屋を一人抜けようとしていたアカネにフィズが声をかけた。振り返ったアカネは、普段の陽気さの欠片もない表情だった。
「こんな時に働かなくて何が忍びだよ……。ハヤトは姿をくらませてるし、まず師匠と連絡を取る」
「そうですね……無色の派閥がこんなに大きな動きを見せたんです。聖王都の方も何か動きがあるかもしれません」
それに、向こうにも頼りになる仲間がいるのだ。
「あたしが帰ってくるまでにハヤトが帰ってきたら、あたしの分までぶん殴ってて!」
別れ際、ウインクを残してアカネは去った。
「ねぇ……私達の日常は、もう戻らないのかな……?」
「まだ分からねーよ、オレだって……」
途方に暮れてリプレは項垂れた。今まで何度も命を懸けるような戦い、危機はあった。
しかし何故だろう。胸騒ぎはこれまでにない不安を彼ら全員に与えた。いつもなら、率先して「大丈夫!」とカラッと笑う存在がいない。その隣に立つ少年も。
まるでフラットに風穴が開いたようだった。
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