「行ってきまーす」
普段はそうでもないのに、身だしなみを鏡の前で人並みに確認してからハヤトは家を出て行った。
「いってらっしゃい、遅刻しないようにね」
「いってらっしゃい、ハヤト」
台所で皿洗いをしながら、今日も健気に玄関先で見送るクラレットの声に耳を傾ける。自分が新婚の時も、こんなに甲斐甲斐しかったかしら、と遠い昔を思い出しながら、息子の愛されっぷりを微笑ましく思う。
無論、それはクラレットの一方的なものではないのだが。
いつ彼女を連れてくるかと夫と息子をからかう話題にしたことはあったが、それは本当に唐突に起こった。しかも、訳ありと一言で済ますにはあまりにも特異な形で。
ぱたぱたと玄関から戻ってくると、クラレットは「お手伝いします」と声をかけてきた。いつものように、洗った食器を乾燥機にクラレットがせっせと、慎重に入れる。そんなに丁寧にしなくても大丈夫よ、と言ってもクラレットはあまり変わらなかったので、これも性格なのだろう。ハヤトにその慎重さを少し分けてやりたく思う。
「……ハヤト、いつもと雰囲気が違いました」
「ああ、高校も今日で卒業だからねぇ。柄にもなく感傷的になってるのかもしれないわね」
「卒業、ですか……」
「ええ」
クラレットには家で暮らし始めてから少しずつこの世界のことを教えている。クラレットが生まれた場所でも、似た組織はあったらしい。勤勉さもあって、知識をぐんぐんクラレットは吸収していった。

ハヤトが落ち着かない原因のひとつは、クラレットにあることは解っていた。
卒業したら大学に、という漠然とした未来の話はしたことがあった。しかしクラレットを連れて帰ってからは、ハヤトなりに思うことが多々あるようで。 『もし、クラレットがこの世界で生きるのに支障が出てきたら、彼女を元の場所に連れて帰ることも考えてる』
ちらりと、二人でこたつでのんびりテレビを観ている時に口に出したことがある。その時は、のんびりと「あら、そうなの?」と答えたのだが……。
それは、この家を離れる覚悟をハヤトもしているということだ。大学に入ったら一人暮らしをしてもいいとは話していたが、きっともっと遠い話。ある日、何が起こったんだろうと思う不思議な成長を遂げた原因に纏わることなのだろう。
『一人暮らしは許可するけど同居はまだダメよ』
という話も、そういえば別の時に話した気がする。クラレットの様子を見れば、ハヤトが家を出て大学に通い始めたら一緒に暮らしたいと言いそうだ。息子の面倒を見てくれるこんな愛らしい娘がいることを喜ばしく感じつつ、無責任なことは云々……引っかかるのであった。
「ハヤト、学校好きだから寂しくなりますね……」
一仕事終えたクラレットがぽつりと呟く。
「クラレットさんと一緒にいられる時間が増えて喜ぶかもしれないわよ?」
微笑んで言うと、クラレットは顔を赤らめてから俯く。
「わ、わたしも……嬉しい、です……」
「……やっぱり同居はまだダメね。危険だわ」
「……?」
無情な判定を頭の中でがっちりしてから、ため息を漏らした。息子たちの恋路を邪魔したい訳ではない、寧ろ応援したいのだが。あまりにも無防備すぎるのも問題だろう。
「お子様もそりゃあ恋もするわよ、ねぇ」
「お子様ってハヤトのことですか?」
それは同感だったようで、思わず噴き出してしまった。きっと色々苦労もしているのだろう。
「そうそう、勇人のことよ」
今頃くしゃみでもしてるかもしれない。否、鈍い息子にそんな感性あるか疑わしい。
「じゃあ、クラレットさん。一緒に行きましょうか」
「え?」
――大切な門出を祝いに。



BACK