担架に横たわり、牢から今度は医務室へと連れられて行くその召喚師の背中は憔悴しきっていた。
悪魔的に言えば「美味しくも不味くもない、一番つまらない」ものだ。
刺された直後にアメルが癒しの力を限界まで注ぎこんだことにより、命に別状はないらしい。
そんな結果も、バルレルにとってはどうでもいいことだった。
「……なにそんな顔してるのよ、バルレル?」
様子に気付いたケイナが声をかける。そんな顔とはどんな顔だと、怪訝そうにバルレルが睨むと背中をバシッと勢いよく叩かれた。相手は誰かすぐ分かる。この雑な扱いは、冒険者のフォルテだ。
「つまんなそうな顔ってヤツだよ。今はトリスに余計なこと言わん方がいいぜ?」
「余計なことってなんだァ?!」
「……まぁ、私たちより解ってるんでしょうけどね?」
くすくす笑うケイナの表情にはからかいは一切含まれていない。あるのは穏やかな眼差し。トリスがたまに「あんなおねーさんになりたーい」と言ってることをバルレルは知っている。
「だから何なんだッ!?」
「悪魔にも色んなヤツがいるらしいってことはオレたちも解ってきたからな?」
「そうそう」
それこそ面白くない話になりそうだと、バルレルは「ケッ」とそっぽ向いた。


悪魔に魂を売ってでも、とあの男は叫んだ。
メルギトスにとって、一連の騒動は極上の美味だったことだろう。たしかに、悪魔にはそんな一面がある。それはバルレルにとっても同じだった。
(やり口がセコいんだ、ヤツはよォ)
気にくわない。その一言で片付くことだった。
それよりも気にくわない、引っかかることがあった。
誰かの憎悪、怒り、……嫉妬は、悪魔にとって食事に等しいものであるのに、自分のそれは美味しいとは思わない。だから、やけに胸のあたりがざわついているのだ。

『選ばれた者』

くだらないとかつてなら一蹴していた言葉。
情けない八つ当たりで更なる醜態をさらし、召喚師は力を失った。滑稽で、愚かで、弱い。
それがニンゲンの姿だと、メルギトスは嘲笑っていた。
ならば、今バルレルの中で蠢いているものは何なのか。
治癒の力を使いすぎてぐったりしたアメルにトリスが寄り添い、その隣にはネスティが立つ。互いが抱える不安を支え合うように、そうすれば乗り越えられるというように……。
何故、ニンゲンはこうも『運命』という言葉を多用するのか。

最初に召喚された時のことを、思い出す。
今日見た愚かな召喚師よりも惨めな、屈辱の日々を。眉間をグッと抑え、治癒はしたが残っている痛みが湧きあがる。
――その時、抉られたのは『眼』だけではない。
あのオンナに召喚されたことも、切り刻まれたのも、運命とやらの仕業なのだろうか……。
この場所の空気は、当時を思い起こさせる。召喚師が集うのだから当然だ。
蒼や金、無色といえど同じニンゲンなのだから。

眉間からズズ、と手をずらし口元を抑えるバルレルの変化に気づき、フォルテとケイナが「大丈夫か!?」と声をかける。『大丈夫か』などと、悪魔に相応しくない。口元に浮かんだ嘲笑は自分に向けられた。
「ったり前だろうが! オレは悪魔だぜェ?」
「もう!! 調子悪いなら悪いって早く言いなさいよ!」
どれほど気が緩んでいたんだと、バルレルは思わず舌打ちした。そんなバルレルに、トリスはますます怒りを滲ませた。
「ンなことよりあのオンナをほっといていいのかよ……」
「アメルなら皆と一緒にもっと休める場所に移動した方がいいからね。アンタは大丈夫なの?」
「……また……」
また、大丈夫か と。バルレルは忌々し気に呟く。
「仮に大丈夫じゃなかったらどうするんだよ、アァ!?」
「もう! 本気で心配してるのにそんな態度するんだったらこうだーっ!!!」
ガバ、と音がしたと思えば目の前が真っ暗になって、バルレルは何をされたか一瞬分からなかった。トリスがバルレルの頭を抱き寄せてきつく抱きしめているのだ。
「……テメェ、マジで胸ないな?」
「バルレル〜〜!!?!」
声を荒げてはいても、抱きしめた腕が解かれることはなかった。そして、その腕が小刻みに震えていることに気付いてしまった。微かに、小さく息をついたのはトリスの方かもしれない。
結局、更に悪態をつきあってその場を免れた。ドカドカ足音を立てながら歩いていくトリスを見ながらぼんやり立っていると、一連を見守っていたらしいケイナからまた声をかけられた。
「……なんだァ?」
「知らないことが救いになることも、あるわよ。あなたは今、此処にいる召喚師のトリスからの付き合いなんでしょうけど、だからこそ出来ることも……多分、ね」
「忘れると知らないは違うぜェ、オイ」
「ふふ、そうよね。だけど……救われるとか大袈裟じゃなくても、心が軽くなるだけでいいのよ。今のトリスには、特にね」
大いに実感を伴う言葉に対し、バルレルは「フン」とまた、そっぽ向いた。


気にくわないことが多すぎる。
運命とやらに翻弄されるものが。それで納得することが。
翻弄するのは、悪魔の真骨頂だ。運命などに任すつもりはない。
「つまりそういうことだ」
悪魔にも矜持がある。それを、取り戻す。

ふとトリスの匂いを思い出して、バルレルは頭をブンブン横に振った。
――ただ、それだけのはずなんだ。



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