はっきり言おう。ハヤトには目の前に立つキールが何を言っているのか分からなかった。
「……何言ってんだ?」
 素で出た言葉がこれだった。
「何って……どういうことなんだ、説明してくれ」
 どうやらキールは本気らしい。もしかして、ものすごく金持ち出身なのかもしれない、とハヤトは思い至る。最近、召喚術は使えるだけで莫大なお金を生むことを聞いたばかりだ。スラムで暮らす住人たちとキールの服装は明らかに違うし、自分の世界にあるような高級ブランドかもしれない。
 それにしても、脱衣所で空っぽの籠を見下ろしながら、十代の若者が二人並んで語らう姿は傍目に奇妙だ。そんなこと当の二人は気がつかないが。
「――な、なんなんだ? ジロジロ見て」
「いや、何でも! じゃあ、説明するな? ここの籠が俺たちの洗濯物入れで、大体朝ごはんの後にリプレが片付けてくれてるんだ」
「だから、そこが分からないんだが」
「俺も分からない……」
 ハヤトは腕を組んで、とりあえずキールの説明を待つことにした。
「まず、服はあるものだし、リプレが洗う理由が無い。そんなことを彼女にさせているのか?」
「前提がよく分からないんだけど、確かにリプレに任せきりってのは抵抗あるよな」
 いまいちかみ合っていない部分は無視して、ハヤトは「うんうん」と頷いた。実際、ハヤトも自分の服や下着を洗わせるのを最初は遠慮したのだが、「時間の無駄」と一蹴され今では任せているのが現状だ。
「俺も家にいる頃は自分で洗濯なんてしてなかったしなぁ」
 生活力があるだなんて自負は無いが、洗濯ぐらいは出来ると思っていた。しかし、実際リプレのてきぱき動く姿を見ると「敵わないなぁ」と思わざるを得ない。
「キールの家では誰が洗濯してたんだ? やっぱりキールのお母さん? ……ま、いいか」
 一瞬だけキールの表情が曇ったのをハヤトは見逃さなかった。さらっとキールが口を開く前に流すことにした。キールの出自をハヤトは知らない。そして、知られたくないのだろうと察しがついているので、キールから話してくれるまでは待つと決めているのだ。
「――召喚獣が、やってるんだと……思うよ」
 少し間を置いて、キールが口を開いた。ハヤトは改めてキールをまじまじと見つめる。
「げ……召使いとして呼ばれた召喚獣が、雑務や家事を一手に引き受けているんだと思う。そんな、何か家事をしているところを僕は目にしたことがないから」
「そっか、召喚師ってそういう生活なのか?」
 きょとんと首を傾げるハヤトに、キールは頭を振った。
「い、いや……それぞれじゃないかな。とにかく、僕は起きれば服が用意されていたから洗濯という概念が抜けていたんだろう。理解したかい?」
「なんかスゴイな、それ」
 やんわり苦笑しつつ、ハヤトは頷いた。何より、自分のことを少しでも話してくれただけ、嬉しく思った。
「それで……何故、リプレが洗濯をするんだ? そんなもの他に任せればいいじゃないか。見るからに彼女は重労働を課せられてないか?」
「まず他がいないってことと、リプレは課せられてるとは思ってないからなぁ」
 ある意味、紳士的なキールの意見にハヤトは困ったように笑う。
「何故そんなことが分かるんだ? それは君たちの勝手な解釈だろう」
「だってさ、リプレだからなぁ」
 あはは、と明るく笑った途端、後方に真っ黒い気配を感じハヤトとキールは同時に振り返った。
「あー、なー、たー、たー、ちー!? 洗濯するからさっさと服を出してって言ったのに、まだお喋りしてたの?」
「うわ、リプレ……それはその、キールに説明を」
「つべこべ言わずさっさと脱ぐ!!!」
 リプレの気迫にハヤトが後ずさる。しかしキールは負けなかった。こほん、と咳払いと共に。
「リプレ、君は女性だろう。その、そんな言葉遣いはどうかと。」
「洗濯したら次は家のお掃除! キール、手伝ってくれるの?」
「う……っ」
 ハヤト以上に生活力が絶望的なキールは、グッと言葉に詰まる。フラットに住むということは、リプレの家事能力の恩恵を受けると同義なのである。
(そもそもリプレに逆らえる訳ないんだもんなぁ)
 あっという間に劣勢に立たされたキールを眺めながら、ハヤトは少し前の自分を見ているような気分を味わった。
「ハ、ハヤト!! なに傍観者になってるんだ! 少しは僕に加勢しろ!?」
「俺も通った道だから、キールがんばれ!」
 イタズラっぽく笑ってハヤトは脱衣所を抜け出した。



「はぁ……」
 洗濯物を干しながら、ため息が一つ。それは、リプレのものだった。
「私だって男の子に脱げとかさっさとしてとか言いたくないわよぉ……」
 少し肩を落としながら、洗濯が済んだ衣類に再び手を伸ばすと。
「あれっ、ハヤト?」
 リプレの傍まで駆け寄って、真剣な表情でハヤトは口を開いた。
「さっきのキールの話聞いてたらさ、リプレがやるって言うから任せようって思ってるのは本当だけど甘えきりも良くないなって思って。なんか、ゴメン……ただでさえ居候なのに」
「い、居候なんかじゃないわよっ!」
 頭を下げるハヤトを慌ててリプレは否定した。いつもは幼かったりサッパリした性格なのだが、時折こんな風に優しさを発揮するハヤトに、リプレは「ふふっ」と微笑む。
「ありがとう。ハヤトも最初はあんな風だったし、キールだって馴染んでいくと思うわ。それにはハヤトの支えが一番必要だと思うわよ?」
 今日聞いた話の断片からも、フラットの皆やハヤトが暮らしてきた家とも随分違うことは明白だ。
「ああ、分かってる。キールも、戸惑ってるだけみたいだし。ただ、俺も居候のままじゃいたくないから何かしたいんだ。……でさ、俺も洗濯物を干すぐらいなら出来ると思うし、手伝うぜ!」
 にぱっと笑ってから籠に手を伸ばそうとして、体がカチンと固まった。
「…………うん、これは私とか女性用のだから。ハヤト、ごめんなさいね?」
「う、ご、ごめん!!!」
 リプレは怒っている訳ではなく、困ったように苦笑しているだけなのは解っているのだが居た堪れなくなりハヤトはその場を一目散に離脱した。
「ふふっ、かわいいなぁ」
 同い年の男の子には不服であろう言葉を、リプレは自然と漏らすのであった。

(全く……最後までカッコつかないな、君は)
 二人の様子を窓から観察していたキールは嘆息する。ぱら……と視線を書物に移動させながら。
「何か……したいって、僕が、思うなんてな……」
 ――そう、誰かのために。


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