ライ達がラウスブルクからトレイユに帰ったのは、堕竜ギアンとの戦いが終わってからしばらくした後……空は淡い赤色に染まり、夜が迫る頃。人々はやっと騒動が去ったのだと確信して町に溢れ、互いの無事を喜び合っていた。
 事件を解決に導いた立役者であるライは、荒れた場所はあるものの町の被害が少ないことにまず安堵した。その次は、切り盛りしている宿屋に足早に向かった。リュームと御使いたちも、宿屋の無事を確認しに同行している。それが終われば、ラウスブルクに戻りエニシアの願いと、帰りたいと願った者たちを送り届けるということだ。リュームたちの宿屋を想う気持ちが、ライにはくすぐったかった。
「よし……宿屋はどこも壊れてない、な……」
 屋根が吹っ飛んでいたりしたらどうしようかと内心不安だったライは、まず外観をチェックしてほっと息をついた。庭は散らかっていたが、許容範囲内。今まででも黒字を出すのに必死だったのに、修理費など考えるだけで眩暈がする。
「おっ、やっと帰って来たか」
 不意にドアが開かれ、顔を出したのはガゼルだった。アルバは「あっ」と声をあげ、思わず駆け寄る。アカネもそれに続いた。戦闘の中で顔を合わせたとはいえ、ゆっくりした再開は随分久しぶりだった。
「ガゼル、どうして……いや、その、無事で嬉しいけど何でここに!?」
「混乱してるなー、アルバってば。でも、ホントどーしたってのよ?」
 アルバの背中をぽんぽんと叩いてから、アカネが尋ねるとガゼルは苦笑しつつ頭を掻いた。
「オレらもちょっとした旅行中に色々あってな……そこのライと偶然会ったりな? わりーな、勝手に使わせてもらった」
 ガゼルが後ろで様子を伺っていたライに声をかける。気さくにライは「いいよ、心強かったし」と答えた。
「因みにリプレたちも奥にいるぜ。あと……アイツも」
「!」
 アルバの表情が喜びと驚きから、少しだけ寂しさに変わった。
「ガゼルにもだけど、おいら、会っていいのかな……」
「男の約束ってやつ? めんどくさ!!」
 アカネはおもいっきりため息をついた。それはもう、あからさまに。
「それって、アルバがよく言ってたあの人のことか?」
 先ほどの反応を見れば聞くまでもなかったが、ライが聞くと「うん」とアルバは応じる。
「じゃあ、俺にその人を紹介してくれよ。なっ?」
「ったく、世話になったヤツに余計な気遣いさせるぐらいならスパッと会えばいいじゃねえか」
 ガゼルの言葉に、ライはやんわり苦笑した。元より遠回りな物言いが苦手なのは自覚しているが、余計と断じられてしまった。
「おいらも……会いたい」
 迷いを振り切り、アルバは力強く言い切った。それを見てアカネはふふっと笑い、ガゼルは満足そうに頷いた。


「でもな、知り合いなのは分かったけどここは宿屋だぜ! ちゃーんと金は払ってもらうからな!?」
 自己紹介が済んでから中に入りつつ、リュームがびしっと言い放つと、「わかってるっつーの」のガゼルが苦い顔をした。他にも援軍に駆けつけてくれた面々はいたが、彼らは町に近い宿屋で寛いでいるらしい。
「俺ら、助けてもらったんだから。今回ばかりはそういうのはいいって」
「お前な!! だから稼げないんだっ!! こんな調子じゃ先が思いやられるな」
 厳しく言いながらも、今後のライのことが気になっているのは恐らくリュームだ。こんなやり取りさえ、仲間たちには微笑ましく見えた。
「オレらも勝手に使わせてもらうのは躊躇したんだけど、ハヤトのやつがな……」
 ガゼルが言いかけたところで階段から下りてきたのはリプレとフィズ、ラミであった。フィズはアルバに気づきぱっと表情が輝いたがすぐにそれを引っ込めた。ラミは、そんな姉の様子にくす、と控えめに微笑む。
「ハヤトはどうだ?」
「クラレットに任せてきたわ。あ……ライ、急に押しかけてごめんなさいね」
「いや、こっちも助けてもらったしありがとう。それより、ハヤトって? 誰か調子悪いのか?」
 アルバが「えっ!?」と顔をあげると、リプレがすかさず「大丈夫よ」と柔らかく笑った。
「元はガゼルが『とにかく早く来い』って内容と場所だけの手紙を出したのが原因みたい。ここまで強行軍だったらしくて……」
「ちょうどあいつ等もお役目とかで帝国に遠征だったんだ。呼んでも罰あたらねーだろ。思ってた以上に非常事態になってたケドな」
「なんか分からないけど俺たちの為に駆けつけてくれたのが原因なんだろ? なら俺のやることは一つだ!」
 それは、剣よりも自信のある料理の腕を奮うこと。今回はリプレとキッチンで共闘できる期待感もある。つい数時間前まで世界を揺るがす死闘を繰り広げていた少年は燃えていた。ここが、自分の戦場なんだと深く息を吸って。
 まずは、手を洗うことにした。


「――大丈夫ですか?」
「ううっ、情けない……」
 ベッドに横たわるハヤトの片手を握り締めながら、クラレットはそっと口元を綻ばせた。そうしている間も繋いだ手に魔力を注ぐ。ハヤトが誓約者といっても、体は人間のものだ。身体的な疲労と急激な魔力の消費でオーバーヒートを起こしたというのが今、ハヤトが横になっている原因であった。
「無茶するからです。間に合わないとはいえ、遠隔操作であんな強力な結界を咄嗟に張れば、負担が大きいに決まってます」
「でも、あそこでやるしかなかったから……あーもう締まらないなぁ俺。かっこわる……」
 がっかりした様子のハヤトはいつもより子供っぽい。それは、ハヤトなりの甘え方なのだとクラレットは解っている。重なる手を引き寄せ、自分の頬にくっつけながらクラレットは微笑んだ。
「それも含めて、ハヤトです」
 慈しむように触れるクラレットの透るように白い手と仄かに赤みが差す頬は温かく、同時に甘酸っぱい空気を二人にもたらした。
「かっこ悪くても情けなくても、ハヤトはハヤトです」
「なんかそれ、微妙に凹むんだけど」
 クラレットは真摯に言ってくれているのであろうが、ハヤトにしてみれば連れ立った女の子に心配され力を分けてもらう状況が男として複雑なのである。その辺りを、クラレットはきっと気づかないだろうとハヤトは思っている……が。
「私が守りたくて……大切なハヤトは、そういう人なんです」
 目を閉じてクラレットがハヤトの手を優しく撫でる。伝わる温もり、そして揺れる睫毛にハヤトの胸が思わず高鳴る。空いた方の手を伸ばし、そっとクラレットの頬を包むと花が開くような笑顔が浮かんだ。甘酸っぱい空気はいつの間にかとろけるような甘い香りのように変わっていた。
「ええっと……」
 不意に、ドアの向こうから声が聞こえハヤトの手がクラレットから急に離れる。それをやや不満に思いつつ、クラレットは「はい」と返事した。
「体調悪いって聞いて消化にいいもの作ってきたんだけど、両手塞がってるんだ。開けてくれない、か?」
「はい。ありがとうございます」
 すっと立ち上がり、クラレットがドアを開けると両手に鍋とお茶碗を持ったライが佇んでいた。
「この宿のご主人さんですね。ありがとうございます」
「あはは……いや」
 本当はもっと早く来ていたのだが、空気を読まないことに定評があるライすら今回は読んだ。今、入るのは良くないことだと。しかし、料理人として温かいままの食事を提供したいという思いがあった。馬に蹴られるのを覚悟したが何とか立ち入ることには成功したことにライは安堵していた。
「キミがライ君か。ベッドを勝手に借りてすまない」
「いえ……」
 ハヤトは身体を起こしてから頭を下げた。ライは答えながら失礼にならないようにハヤトを観察してみる。アルバの話を聞いてどんなに凄い人なのだろうか……と色々想像したこともあるのだが。
「もう、ちゃんと魔力が落ち着くまでは横になっていてくださいっ」
「わ!? 近いってクラレット!」
 綺麗な女性に身体を倒され慌てふためく様子は、ライがよく知る兄貴分の普段は堂々としているのに慣れない一面を彷彿させ……言ってはいけないが、かわいさがあった。
「料理はここに置いておくんで、えーと、その、終わったら皿取りに来ます……?」
「なななんか誤解されてる気がするんだけど!?」
 そそくさとテーブルに茶碗と鍋を置くライにハヤトが焦る。
「それでは失礼しますっ」
 ドアを閉めた向こう側から「休まなきゃセイレーヌに頼んで眠らせますっ」という不穏な言葉と相変わらず劣勢らしい様子が窺がえて、ライは声を殺して笑った。




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