クラレットがハヤトの世界までやって来てから1週間が過ぎていた。
まずはクラレットの存在を説明することにあたふたし、次にクラレットの所在や今後についてもハヤトは何度も家族会議で慌てることとなった。それは当のクラレットが特別な問題意識を持っていなかったからだ。
「私はハヤトと同じ場所にずっといたいです」
突然息子が連れ帰ってきた奇妙な格好の少女が、頑なに訴えたのはこれだけなのだ。ハヤトは顔を真っ赤にしつつ、どう説明すれば、弁解すれば良いのか途方に暮れ、両親は口をぽかんと開けるしかなかった。
「クラレットちゃん、次はこっちのお掃除もお願いねー」
「はいっ」
今ではこんな会話が家の中で繰り広げられている。ハヤトは「俺の親だから似てるのかなぁ」と思いつつ、両親に感謝していた。クラレットが何もかも捨てて……この場所にいることを何となく覚ったからかもしれない。
しかし、両親が断固として二人に言い聞かせたことがあった。それはどの世界でも普遍らしい事柄。
「部屋は別だ。それとハヤト、お前はまだ学生だ」
「はい」
正座しながら男と男の約束。ぴりりとした空気が言外に込められた意味と共に圧し掛かる。
「学生ですか」
隣からまじまじ見つめるクラレットの視線に、思わず苦笑してしまうハヤトだった……。

結局、客室として利用していた部屋がクラレットに宛がわれ、現在クラレットとハヤトの母によるリフォーム最中である。二人とも楽しそうに家具のパンフレットを見ている姿を見ると、「ああ、馴染んできたのかな」とハヤトは安堵した。掃除機の使い方をマスターし、「お掃除係は任せてください」と嬉しそうに語るクラレットは純粋に可愛い。

そして、悲劇はやってきた。――ハヤトは失念していたのだ。
クラレットは可愛いだけじゃなく天然であることを……。

今週はテスト期間なので帰りが早い。ハヤトはおやつ用にスナック菓子を選んでから駆け足で家に帰った。今日は母も用事で出かけると言っていたので家にはクラレットしかいないはずだ。そうでなくても高校に行っている間は母がクラレットにこの世界のことを少しずつ教えてくれているらしいが、先日ハヤトが幼い頃のアルバムまで見せたらしく、夕食の時に随分恥ずかしい思いをした。年頃の男子高校生にとって、過去のあれこれは封印しておきたい。まして、好きな女の子が相手なら尚更である。
(まったく俺が知らない間に何を話してるんだか!)
しかし、自分が高校へ行っている間にクラレットに接してくれているのだから感謝の方が無論大きい。
「ただいまー!」
玄関で声を上げても返事がない。その原因はすぐに分かった。二階から掃除機をかける音がする。階段を上がると、ハヤトの部屋から掃除機の音が聞こえてきた。ハヤトの母から全部屋を掃除するよう指令が下ったのだろう。
「クラレット、ただいま」
「おかえりなさい、ハヤトッ」
ハヤトに気づき、クラレットが掃除機の電源を切って笑顔で迎える。
「俺の部屋まで掃除させてゴメンな? 母さんにこき使われてないか?」
「一緒に住まわせていただいてるんです、これぐらい当然です」
それに、掃除を覚えたクラレットは確かに楽しそうでもあった。
「お布団も干しましたし、ゴミ箱の中も空っぽにしました。拭けるところは拭きましたし、あとは掃除機だけです」
「クラレットお気に入りの」
「はいっ」
ふわりと香るような笑顔にハヤトの胸がどきっと高鳴る。
(ヤバイ、かわいい)
胸に手を当てながら頭をぶんぶん振った。……が、頭を停止した視界の先に入ったもので思考は停止した。クラレットもハヤトの挙動不審に気づき、「ああ」と頷く。
「この本、ベッドの下にあったから取り出しておいたんですが……少し埃が被ってしまいましたね」
それは、リィンバウムに召喚される前に部活仲間の一人が置いていったグラビア雑誌だった。かなり際どい写真もあるんだ等と戯れていた日がまるで遠くのように感じられる。埃を払いながら申し訳なさそうに話すクラレットに他意は無さそうであった。それが、更にハヤトにとっては妙なぎこちなさを生じさせる。
「え、えっと……」
「はい? この本がどうしたんですか?」
ぱらっと何気ない動作でページをめくるクラレットを前にして、ハヤトは思わず「あ」とか「う」と呻いてから項垂れた。こういうものを見た場合、女の子はどんな反応を示すのだろうか。しかも好きな……きっと想いが通じている女の子に見つかるなんて、あってはならない失態。誓約者の力が全く通じない悲劇であった。
しかし、まじまじと本を見つめているクラレットに対し、ハヤトは徐々に不安より不審を抱き「あの、クラレット?」と声をかけた。返ってきたのは真摯な眼差し。
「これは何の本ですか? 露出が多いですし人体の研究でしょうか? 筋肉?」
「え、とあ――、その……」
ここでサラッと嘘をつくことが出来るほど器用さがあれば良かったのに、とハヤトは心底思った。
「女の子を眺める為の本というか……」
ハヤト自身、混乱して何を口走っているか分からない。
「私は……私も、一応……女の子ですよ……?」
俯きながら言ったクラレットは少し恥ずかしげで、先ほどグラビア雑誌を眺めていた姿とギャップが凄まじい。
「一応じゃなくて、俺にとってはたった一人……だよ」
ぐたりとしながらも、ハヤトはそっとクラレットを抱きしめた。腕の中で「嬉しい」と囁くクラレットがたまらなく愛おしい。そして1分、2分と抱きしめ合うムードを粉砕したのは「お母様が帰ってらっしゃるまでに掃除を終わらせなくては」というクラレットの生真面目な意思力であった。
少し残念さもありつつ、頑張っているクラレットの邪魔にならないようにハヤトは部屋を出るのだった。後で一緒におやつを食べよう、と思いながら。


その日の夕食、クラレットが掃除の戦果と共に『露出が多い女の子を眺める雑誌』なる物について言及したことにより、ハヤトが両親から白い目を向けられたのは語るまでも無い。



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