この世界……リィンバウムの命運を背負った翌日。
オルドレイク、そして魔王と同化したバノッサとの死闘の後、
ハヤトはいつの間にか倒れたらしい。
正しくは、サイジェントに帰る最中に突然だった。
目が覚めるとフラットのベッドにいた。もう、馴染んだ空気と布団の柔らかさ。
ふわりと聞こえてきたのは複数の足音と、リプレの鼻歌だった。きっと台所で皆の食事を作っているのだろう。
(帰ってきたんだな……)
元いた世界に帰る機会を自ら断ち切り、リィンバウムに残ると決意した戦いでもあった。
フラットで朝目覚め、夜に眠る……そんな日々が、これからはハヤトにとっての日常に変わる。
未練が無い訳ではない。
(考えないようにはしてたけど……向こうでも時間は流れてるんだよな。俺って行方不明扱いかな。
……親父と母さんは心配してるだろうし、部活も……)
手が、既に何ヶ月も触れていないボールを思い出そうとしても、遠い記憶のようだ。
今は戦いの日々によって厚くなった手の皮とつぶれたマメの跡で、スポーツマンというより戦士の手……なのだろう。
(引退試合だけは、出たかったかな……)
目を閉じれば、部活仲間の顔が浮かぶ。大きな戦いが終わったので気が抜けたのかもしれない。
感傷的になっている自覚はあった。
コンコン、と控えめなノックの音と共に、ハヤトは再び目を開いた。
「……ハヤト、起きてますか?」
心配でたまらないといった可憐な少女の声。ハヤトは「はーい!」と慌てて返事した。
手早く身支度を整え、ベッドを飛び降りる。早足でドアを開くと、急すぎて驚いたクラレットが立っていた。
「あ……と、ごめん。俺の方はホラッ、だいじょうぶ!」
両手をぶんぶん回して元気をアピールしてみてから、子供過ぎるかと思ってハッと動きが停止した。
気がつくとクラレットはくすくす笑っていた。穏やかな木漏れ日を思わせる声音だった。
「ハヤト、髪が跳ねてますよ?」
そっと伸ばされた手が、ハヤトの髪を丁寧に撫でた。
「えっと……ありがとう」
「どういたしまして」
まるきり年上のお姉さんと弟の会話のようだが、ふと重なった視線に何故か気恥ずかしくなり2人は同時に口を開こうとして、そのまま何も言わず閉ざした。
「朝から甘酸っぱいわね、若人よー! 今日は祝勝パーティーなんだから、はりきって食べるわよ!」
活力に満ちた声の主は、ミモザだった。廊下からやり取りをまるまる見られていたことに気づき、ハヤトはカァッと顔が熱くなる。
「あの……広間に、行きましょうか」
「あ、ああ」
気を取り直して、2人は並んで広間へ向かった。
リプレが中心となって、着々とパーティーの準備は進んでいった。
パーティーといっても豪勢なものではない。常に貧困が悩みの種であるフラットなので、それは当然である。
しかし、今回はラムザたちの援助もあり「いつもの3倍の資金」だそうだ。
もうすぐ聖王都に戻るミモザとギブソンのお別れ会も込められているとのことで、リプレの気合いも3倍以上である。
「ハヤト、追加の買い物をお願いしてもいい?」
「わかった!」
台所まわりはあまり役立てない……寧ろいたら邪魔になるので、ハヤトは大人しく指示に従った。
「あ、私も行きますっ」
言葉は話せても文字の読み書きはいまいちなハヤトの買い物には同行者が必要である。
クラレットが挙手をすると、リプレはふわりと笑った。
「うん、行ってらっしゃい。外の空気をおもいっきり吸ってきてね」
買い物自体はお茶や果物がメインで簡単に終了した。
生真面目なクラレットがなかなか読みを覚えないハヤトを買い物がてらテストするので、
そちらの方がハヤトにとっては疲れた。学校でも抜き打ちテストがあると絶叫したものだ。
帰り道の途中、2人の足は何となくアレク川の方へ向かっていた。
川のせせらぎが聞こえる辺りで、ハヤトはごろんと生い茂る草の上に寝転がった。
クラレットもその横に腰を下ろす。
「――――なんか……終わったなぁ」
「そうですね……」
木々で羽を休める鳥のさえずりが耳をくすぐる。最近はそんなことさえ気づかない日々を送っていた。
2人はしばらく黙って、耳に入る音や風の爽やかさにまどろむ。
明日からはリィンバウムで最初の穏やかな日常がやって来るのだろうか。
そう考えて、ハヤトは心の中で頭を振る。――そうは、ならないのだろうと研ぎ澄ました心が冷静にその事実を受け止めている。
それに、昨日を境にして変わってしまったものだってある。
「バノッサ達は、こんな風に過ごす時間あったのかな……」
もし、あったとするのなら。……それを壊したのは他ならぬ自分なのではないかとハヤトは思う。
「分かりません……ただ……あの人は最後まであの人のままでしたね……」
そうだ、と気がつく。バノッサさえ知らなかった事実だが、彼の父親はクラレットと同じなのだ。
戦いの日々ではあったが、こんなにも身近に肉親がいたなんて運命とは残酷だ。
(たとえ……酷いことをしようとしたヤツでも……クラレットにとっては)
「ハヤト。……私は、後悔なんてしません」
クラレットがハヤトの顔を真っ直ぐ見つめる。毅然とした決意がこもった声だった。
「何も惜しいものなんて」
「いいから……いい、よ」
クラレットは肉親2人と殺しあう戦いをすることになっていたのだ。
そして、今生き残っているのはクラレットだけだ。
確かにクラレット本人が言うように、後悔は無いのかもしれない。
(だけど……こんな世界、なんか哀しいじゃないか……っ)
戦いが当たり前にある世界、かつて楽園と呼ばれたリィンバウム……。
自分とさほど変わらぬ年齢の少女が、生贄として晒され、その首謀である父を倒した。
言葉だけ聞けばそれはとてもヒロイックな話だ。しかし、目の前で繰り広げられたものは血と痛みに溢れていた。
(――これが、日常になる覚悟はあるのか……? いや、こんなことはもう)
「何も惜しいものが無いなんて、哀しいじゃないか……少なくとも俺は、寂しいよ」
一瞬だけ、傷ついた表情をしたクラレットに胸の痛みを感じつつも、ハヤトは更に言った。
「寂しいよ」
いつの間にか涙が溢れていることに気づき、ハヤトは慌てて腕でごしごし乱暴に目元を拭った。
クラレットは傍らに寄り添い、ハヤトの髪をゆっくり撫でた。
「ごめんなさい……重大な決断をさせておいて、私にはどうすることも……」
「今、こうしてくれてるじゃないか。なんか子供っぽくて悔しいけど」
あはは、と涙を振り切るようにハヤトが笑うと、クラレットも不器用に微笑む。
「こっちでも……また、新しく大切なものを増やしていけばいいよな……それに、俺は」
君に出逢えた、と言えれば良かったのに照れくさい。代わりに先ほどクラレットがしたように、
深い夜のような色の髪をぎこちなく触れた。クラレットは少し目を丸くしてから、ゆっくり目を閉じハヤトの手の触れる心地に身をゆだねた。
「私は……最初から何も持っていませんでした。だから……」
「――うん」
クラレットの頬に一筋、流れ落ちたものはハヤトとは全く別のものかもしれない。
そして、その全てを幼い自分が把握するなど出来るはずが無いのかもしれない……だから、ハヤトに言えることは1つだった。
「これからは、何だって……欲しがっていいからさ」
大切なものを失うことも、何も持ってないと思い知ることも、1人では感じ得ない痛み。
それはきっと、今は独りではないということ。
ハヤトはクラレットの静かに溢れる涙を見つめながら、少女の孤独な空洞にこの手が届くことを願った。
今はぽっかり空いた部分を大切なものが満たさなくても、優しい風が温もりを運ぶように……と。
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