花見というものを体験した。それは、クラレットにとって初めてのことだった。ハヤトが「サクラみたいだ」と嬉しそうに話したアルサックの花が咲き乱れる光景は見事で、思わず感嘆の声が漏れるほどだった。地面に落ちていた一本の花がまばらに咲いている枝を拾って帰ったのは、なんとなく。クラレットにとっては気まぐれでもあった。
 自室の机の上に置き、色んな角度からまず見つめる。たくさん木々が並んでいる状態で見る時と印象が随分違う。部屋の中に土と花の香りがふわっとそよぐ。殺風景な部屋がいつもと違ってクラレットは落ち着かない。
「はっ……お水」
 このまま放置していれば枯れるのを待つばかり。クラレットは部屋を出てフラットの中を歩き回る。広間ではハヤトとガゼルがリプレからお小言を頂戴しているところだった。少し足音を忍ばせながら、クラレットは廊下の隅っこに落ちている空き瓶を見つけた。それは、花見の席で飲み干された酒が入っていたものだ。
 広間の賑やかさを尻目にクラレットは瓶の中に水を満たして部屋に持ち帰った。そして、枝を挿す。少し酒臭くてクラレットは「……お花の香りが……」と寂しさに似たものを感じつつ机に突っ伏した。想像していた状態と何処か、違ったから。

「おーい、クラレット?」
 夜になると、クラレットによるハヤトの召喚術の勉強が始まる。ドアをノックされ、クラレットは「はい」と返事した。ハヤトの声がいつもより元気がない理由はもちろん、夕食抜きだったからだ。自業自得なのでクラレットも放置を決め込んでいるが、いかにも「しょんぼり」なハヤトとガゼルを見ると少しだけ同情してしまう。
「どうぞ」
「お邪魔します」
 普段は大雑把な印象が強いハヤトだが、クラレットの部屋に入る時は畏まっていつもそう言う。クラレットにはそれが不思議だった。何故だろう、緊張しているように見える時すらあるのだ。
 召喚術に関して、ハヤトは優等生ではないが、召喚師の目から見れば「天才」と称するしかない力を持っていた。それを探るのも、クラレットに託された役目ではあるのだが……無邪気に召喚獣を呼んではじゃれ合う姿を見ると、ふっと任務を忘れそうになる。それが、クラレットは恐い。
「あ、持って帰ってたんだな」
「――え……」
「花。気に入ったんだ?」
 にこ、と笑って言うハヤトにクラレットは「あ、はい……」と戸惑いながら答える。クラレット自身、何故持ち帰ったのか理由付けをしていなかったのだが、ハヤトの言う通りかもしれない。
「あはは、酒瓶にってところが豪快だけど」
「あの……」
 ハヤトが漂うアルコール臭に気づいて苦笑した。クラレットはハヤトの言葉で妙に……落ち着かなくなった。最近、ぽつぽつ起こる自分の変化にクラレットは戸惑うしかない。顔が、少し熱くなるような不思議な感覚。
「かわいいよな、この花」
「――あ……」
 そっと指先でハヤトが花に触れる。その仕草が普段のハヤトには無い繊細さがあって……クラレットは目を奪われた。
「さってと。勉強するか!」
「あ、はいっ」
 花びらから離れた指先を、クラレットの紫紺の眼は自然と追いかけてしまうのであった。


 クラレットの朝は、遅い。基本的に寝る時間が遅い。そして起き上がってくるまでも長く、必然的に朝食は皆が終わりかけた頃になる。それはクラレットがフラットに来てから続いている生活スタイルなので、誰もそこには口出しはしなかった。しかし、朝はリプレにとって戦場なのである。一人の寝坊に付き合う余裕などない。
「クラレット、入るわよーー。洗濯物はここに置いてるから……あら?」
ベッドの中でもぞもぞしながら「おはようございます……」とクラレットが小声で反応する。頭はまだまだ眠っているようだ。
「ねぇ、クラレット……これ」
「あ、それは……」
 リプレが机の上のアルサックを見ながら「うーん」と呻るのを、クラレットは目元をごしごし擦りながら何だろうと思った。
「うーん……ちょっと待ってて」
「?」
 部屋を出てから数分、リプレが持ってきたのは正真正銘、安物だけどシンプルで細長い白の花瓶だった。そこにアルサックを移し変えて、机の上に置きなおす。
「はい。この花瓶はクラレットの部屋で使っていいからね」
「あ、あの……」
「せっかくのお花がお酒の臭いで掻き消されたら勿体無いでしょ? それに、こっちの方が」
「かわいい……です」
「そうそう」
 クラレットがぽつんと零した言葉に、リプレは大いに頷く。
「じゃあ、クラレットもそろそろ起きてきてねー」
「はい、ありがとうございます」
 ぺこりと礼をしてから、ゆっくりベッドから足を下ろす。ひんやりした床の温度が眠気を奪った。クラレットは机の上の花を改めて見つめる。
「かわいい……」
 そして、昨日ハヤトがそうしていたように指先でそっと、淡いピンクの花びらに触れる。柔らかな感触と共に、ふわりと香りが鼻をくすぐった。同時に、まだ残っている酒の臭いもしてクラレットはわずかに肩を落とす。夜頃には、流石に残っていないだろうと願いつつ。
「次にハヤトが来たら……」
 また、この花を見て欲しい……ふっと、クラレットは思った。それが何故だか分からないまま。





BACK